見にきてくださってありがとうございますニコニコ


タイトルにもありますように、うちの子供が幼稚園時代にハマった遊びを書きたいと思います。

子供が幼稚園に通っていた頃は、まだ義両親と同居しており、子供達は義両親の部屋にも自由に出入りしていました。


前のブログに書いた通り、義両親は部屋にいる時はいつもテレビをつけている人たちでした。

戦後のベビーブーム世代であり、テレビは文化の中心アイテムだったというのもあるのかも知れません。


そんな彼らがいつも見ていたのはバラエティと共に刑事もののドラマです。

だいたい夜8時頃から始まるドラマと、夕方から始まるそれらの再放送など、とにかく刑事ものをよく見ていました。


部屋に出入りする私の子供達も一緒になって見ていました。テレビに映る血だらけの死体の映像を、一生懸命見ている義両親と子供達。

ちょっと嫌だなぁと思いながらも、「死体とかそういうの見せるのやめて欲しいんですが…」と言い難く、そのまま横目で見る毎日。


ある日、夕食の支度をしていたら、食卓で子供達が人形で遊んでいたのですが、何やら聞こえてくる会話が不審な内容でした。

何してるのかな?と、ちらっと覗いてみると、一体の人形が横たわっており、その周りを囲むように2人が人形を持って話しています。


「これは頭部を殴られていますね」

「死亡した時刻は明け方でしょうか?」

「犯人はまだ近くにいるかも知れません」

「あっ、警部、ここにも血がついています」

「凶器が近くにあるかも知れない」


なんてすか、これは…。

どうやら、刑事ドラマの現場検証をディズニーのお人形で再現していたようです。

ああ、やっぱりこういうところに影響出るんだよね…。

そういうのやらせるためにお人形買ったんじゃないんだけどなぁ。

と、ちょっと悲しくなった出来事でした。

見に来てくださってどうもありがとうございます。



今日は第二次世界大戦の終戦間近の話をしようと思います。

その頃私の曽祖父母は、銀座でビルの管理人をしていました。
東京は毎日のように空襲があり、警報がなると防空壕へと避難していたそうです。
当時、母は祖父母と共に浅草に住んでいましたが、浅草から東京都の西多摩地区へと疎開する事になり、空襲が激しくなる前に引っ越したそうです。


そんなある日の事ですが、銀座にて仕事をしていた曽祖父母は空襲警報を聞きます。
慌てて防空壕へと避難しようとしましたが、曽祖父は戸締りなどしてから防空壕へと向かうため、曽祖母だけ先に防空壕へと向かう事になりました。

曽祖父も遅れて防空壕へと避難しましたが、その時に防空壕が空爆に遭いました。



曽祖母と曽祖父はほんの少しの時間差で同じ防空壕に避難したのですが、そこは入り口が二つあり、それぞれ別の入り口から避難したそうです。

防空壕に着弾したのは、曽祖父がいた側の入口。

その時の爆撃で曽祖父は命を落としました。

反対側から避難した曽祖母は無事でした。

同じ防空壕に避難したのに、入口が違う事で生死が分かれてしまった2人。

曽祖母だけが助かってしまって、やるせない気持ちでいっぱいだったと思います。



先に西多摩へと疎開をした祖父と祖母は教員でした。

教員の両親に育てられた母もまた、教員という職業を選びました。

そして、西多摩で教鞭をとるようになり、同じ学校で教員をしていた父と出会いました。



東京大空襲は、曽祖父を始め多くの人々の命を奪った出来事でしたが、でも空襲がなかったら母は疎開で移住をせず、父とも出会わなかったのかも知れません。

そうなっていたら、今私はここにいないのだな…と思うと、とても複雑な気持ちになります。



戦争中の時代の人々は、ただその日その日を生きることが精一杯だったと思います。

しかしそうやって頑張って生きてくれたからこそ、今の私たちがおり、この社会があるのだと思うと、ただただ感謝しかないなと思います。

ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃん、おじいちゃん、おばあちゃん、どうもありがとう。

ちょうど一年前の8月下旬、今のマンションに引っ越しました。
離婚調停が成立したのが8月18日。

引っ越し屋さんが荷物を運びに来たのは22日。

新居に移住するのが新学期前日の25日。


22日から25日の間に新居に入って、少しは荷解きなどもしましたが、業者が来たりなどして、ゆっくり片付けはできませんでした。
箱に囲まれての生活は、いるだけでも気疲れし、寝ても寝た気になれませんでした。

部屋は荷物で溢れ、片付けながらの生活は、なかなかキツいものがありました。ガーン
すぐ開けられる荷物はリビングにまとめて、次の日から新学期の子供達は箱を開け、すぐにランドセルなどを出しました。


布団もないので、和室にそのまま横になり、前の家から持ってきた毛布をかけて寝ました。
夏に引っ越したから、それでも全然風邪など引かず、畳の部屋があって良かったです。


さて、移住する際にテレビを家に置くのはやめようと思いました。

テレビがあれば必ずつけてしまうし、テレビをつけてしまえば子供達はずっと見てしまう。

義両親と同居だった前の家では、子供達は1日に何時間もテレビを見る日々でした。


暇さえあれば見てしまうので、色々と文句を言ったり怒ったりしてやっとの思いで部屋のテレビを消すも、子供達は義両親の部屋にそそくさと入り、結局テレビを見続ける毎日。プンプン

義両親もまた部屋にいればテレビをつけてずっと見る人達だったのです。

頑張ってテレビを消しても意味がないのは、やる気もそがれて疲れも溜まります。


子供達も、自分たちの部屋では地上波をほとんど見ることもなく、動画配信サービスのアニメをひたすら見ていたので、タブレットが有れば良いよね?とは思っていました。

私もどちらかと言うとテレビよりもYouTube派。

テレビは意外と場所もとるし、置くとなるとテレビ台も必要…。


どう考えてもテレビを置く必要性を感じられませんでした。

共有財産を分割でもらうことになり、最初に少しまとめて支払ってもらったので、金銭的に多少余裕はあったけれど、なるべく無駄な出費は控えたい。

そんな思いもあり、思い切ってテレビを置くのをやめました。


テレビのない生活になっても、そんなに不自由は感じていません。ニコニコ

ただ、ニュースとかは見れないので、日々の出来事はネットニュースなどでちらっとチェックしています。


子供達はマンション裏にある図書館で、ライトノベルの本を借りてきては読んでいます。

テレビをなくして、図書館近く(狙ったのではなくたまたまです)に引っ越してきてから、子供達の本を読む時間がグッと増えました。


読み始めると全然動かないので、宿題など済ませてから読みなさい!とこれまた怒る事にはなるのですが、それでも子供達の、特に次女の語彙力がぐっと上がった気がします。


ちゃんと宿題が終わったら、動画配信サービスで好きなアニメをみんなで見ようね、という事にしていますが、気分が乗らないと宿題を終わらせないので、なかなか思うようには動いてくれませんけれどね。ショボーン


本当は、安いもので良いので、プロジェクターとスクリーンを買って、タブレットと繋いでTVerなどのアプリでテレビを見ようかなと思っていました。

子供達にも「新しい家ではテレビは置かずに、タブレットを繋げたプロジェクターでテレビ番組を見るよ」と言ってましたが、プロジェクターとスクリーンよりも優先する事が沢山あり、結局後回しになって今に至ります。


一年経ってみると、プロジェクターもなくても良いかも…と思い始めています。照れ

慣れてしまえばなんて事ない、テレビを見ない分他のことができますね。

と言っても、私の場合はYouTubeの試聴時間が増えただけですがえーアセアセ

NHKの受信料にしてもテレビがありませんと言えるし、テレビなしを選択するのは今の自分に合ってると思います。おねがい