夕いたり石は抒情すほのかにもくれないおびて池の辺にある

           加藤克巳『石は抒情す』

 

加藤克巳は、私の歌の師である。

加藤に出会わなければ、私は歌を作ってはいなかったのかもしれない。

どんな形であれ表現がしたかった私が、加藤に出会ったことで当然のごとく歌を作り始めた。

出逢いであり、縁である。

出会いは、加藤の60代半ばのころであったろうか。

94歳で亡くなるまで、いや今でも、いつまでも、加藤は私の師である。

 

加藤が私の歌に手を加えることは皆無であった。

駄目な歌は黙って一首まるごと削られる。

そこで、なぜ、と考えるのである、駄目な理由を。

今更のように、いかにも自由に詠わせてもらっていたことに感謝している。

 

加藤の家の庭には小池があり、表情のある石がいくつか配置されていた。

「石は抒情す」。

この言葉は加藤の精神のゆたかさを垣間見せるものであり、刮目するに十分なものであった。

石の心に共振する加藤の詩精神に学ぼうと思った。

 

出来の良い弟子とはいえなかった私である。

もっともっと教えてもらいたいことがあったはずだ。

「今ごろ気づいたか」と、加藤は彼岸で笑っていることであろう。