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昭和時代、日本の子供たちの遊びでもカルネラはわりと人気
 
 
 
 
「天使対決」
 
 
コロラド州デンバーで2人の奇形と戦っている。
 
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                   1938年、Sing Sing Talun (Wladyslaw Talun)がNYでダンサーと
 
 
1949年3月21日、コロラド州デンバー
相手は203㎝の大男「Sing Sing Talun 」。
リングネームにはシンシン刑務所が関係しているのであろうか?
彼はポーランド天使「ポリッシュ・エンジェル」としても知られている。
 
 
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                               こんな二流に俺様は負けないぞ
 
プリモ・カルネラ(2対1)Sing Sing Talun
イタリア天使はこのポーランド天使を吹き飛ばした。
 
 
そしてその翌年、1950年1月2日。
デンバーのマンモスガーデンでマンモスのようにでかい男と対戦だ。
この対戦に4000人の観衆が集まった。
 
「相手はこいつだ!」
 
 
 
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かっこいい・・・
 
 
 
 
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                            うんうん
 
イタリア天使とスウェーデン天使(フィル・オラフソン)の戦い。
過去のデンバーに行きたくなってきた。
 
1本目は6分53秒でスウェーデンの勝ち
2本目は5分3秒でイタリアの勝ち
 
 
そして3本目は・・・・?
                       
 
 
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      とーしろが!この男はモーリス・ティレじゃなくフィル・オラフソンだ!
 
 
カルネラ(2対1)スウェディッシュ・エンジェル
       
まあモーリス・ティレに名前を間違えられるような男がカルネラに勝てるはずもなく、3本目はカルネラの反則勝ちであった。
 
※フランス天使とスウェーデン天使は良く混同され、上の写真ように間違われている場合があるので注意。
このスウェーデン天使はオラフ・オルソンであり、オラフ・スエンソンでもある。 他にもポパイ・フランケンシュタインなんてひどいリングネームも名乗らされた。
 
 
おまけ
 
 
 
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              相手のキーロックに表情だけでなくなぜか頭の形までゆがむ天使!
 
参考までに
 
 
まだまだ続く奇形対決・・・
 
それは51年9月ドイツ・フランクフルト。
この相手のデカさはいくらカルネラでも手に余る。

 
 
 
 
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                            ドイツの大巨人(兵役にて)
 
相手の「‘ガルガンチュア’クルツ・ツェッヒ」。
彼はプロレス史上最高身長のドイツ巨人だ。
日本の昭和のプロレス雑誌でも最高身長だと紹介されていたので当時から名前だけは知っていた。
その身長はなんと253㎝・・・・(いくらなんでも盛り過ぎだ)
 
昭和時代、私は、彼の写真を見ることをいつも夢見ていた。
 
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          Kurt Zehe対Strangler Bright  ↑
       動画で残るツェッヒの勇姿・・・・ひどい試合だ。
 
 
 
←ドイツ巨人のコートにはブルーシート並の生地が必要だ。
 
 
 
 
 
 
 
 
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寝させれば身長差はなくなるというプロレスの怪しい格言を固く守り、ドイツ巨人を寝技で攻めるイタリア巨人・・・・
 
イタリアの天使はそのドイツ天使の長い頸を鈍重な重いパンチで破壊した。
 
※「ツェッヒの靴のサイズは58cm、頭のサイズは68cm、身長は2.14m(または2.18m)との説もある。」
 
 
 
そしてついに世界が待ち望んだ史上最高の奇形との一戦が組まれた。
 
 
52124日、コネチカット州ハートフォード・・・・
 
 
 
 
 
「こいつだ!」
 
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そう、相手はあの「‘フレンチエンジェル’モーリスティレ!」
 
このティレがポール・ボウザーにアメリカへ連れてこられ、あのセンセーショナルなデビュー戦を行ったのは40124日である。
場所はテーズにカルネラがひどい目にあわされた前出のボストンガーデンだ。
 
 
↑ティレについて参考までに
 
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カルネラはこの3つ年上の人気者「フランス天使」に勝利した。
重度の末端肥大症のティレはこの時には軋んだ体の48歳・・・
翼が古くなったこの天使は新しいスターたちの負け役になっていた。
 
この愛すべきフリークはこの2年半後、3つのデスマスクを残し、その「障害」を閉じた。
 
※この「ティレ対カルネラ」のちょうど12年前に、フランス天使はヨーロッパからアメリカにやってきた。カルネラはさらにその10年前の1930年、ギャングの水揚げによりボクサーとしてアメリカにやってきている。」
 
 
 
 
          
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                          列車を引いて怪力披露、かわいい
 
 
 
 
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本当に良い笑顔だ。
 
 
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                            モーリス・ティレの子供時代の写真
 
 
 
そしてその3年後、カルネラは日本まではるばるやってきた。
 
カルネラはジェス・オルテガと共に19557月(昭和30年)、日プロのプロレス国際試合に唯一の来日を果たした。
49歳、衰えきったカルネラへマネージャーのように傍らについたのがハーディ・クルスカンプである。
その時の公開練習でクルスカンプの禿げ頭に滑りそうなヘッドロックを決めるカルネラの写真が残っている
 
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      公開練習、対クルスカンプ(エプロンにはそれを眺める髭面の阿部脩)
 
 
7月15日の開幕戦は、力道山・東富士対カルネラ・クルスカンプ(21.で日本組の勝ち)。これは日本テレビで生中継された。(午後7時45分~9時30分)
 
 
 
 
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                 組み合う前にぴょんと飛ぶ小男の力道山
                 カルネラの背に負けるものかと(開幕戦のタッグマッチで)
 
 
16日にはカルネラは遠藤とのシングル、長い脚を使った得意の胴締めからの体固めで勝利した。日本テレビ(午後8時~9時30分)生中継
 
来日クライマックスは717日蔵前での力道山戦だ。日本の英雄はその殺人パンチに苦戦したといわれるが、私は見ていないので何とも言えない。(力道山の20で勝利)。
日本テレビ(午後8時~9時30分)とNHKテレビ(午後8時~9時45分)生中継
 
そして7月24日には再び力道山とシングル(大阪から生中継)
日本テレビ(午後8時~9時30分)とNHKテレビ(午後8時30分~9時45分)
 
まあこの世間への露出度からすると冒頭の写真のように子供のおもちゃにもなるわけだ。
 
カルネラとクルスカンプはシリーズ終わりを待たず29日に一足早く帰国している。
ちなみにシリーズ最終戦東京体育館ではオルテガが力道山にソンブレロとポンチョを進呈した。
 
 
「そしてカルネラももうすぐ50歳・・・」
 
 
長々書いてきたこの物語もそろそろ終わりを迎えようとしている。
 
(動くアルプス⑲に続く)