「いっらしゃいませ。」落ち着いた女性の声に出迎えられて、中に足を踏み入れた。

ここはオレの通う大学のコーヒーショップ。

MOON BUCKS COFFEE

紅茶を主体として飲んでいるオレには、一度も足が向かない場所だった。

全世界展開のコーヒーチェーン店なのに、人が溢れるほどではない。

辺りを見渡すと、落ち着いた雰囲気のテーブル、様々な椅子が程よい感覚で並べられていた。

初めて入ったが、悪くない。

「シン!ようやく来てくれた。」オレの側に近寄って来たミン・ヒョリン。

オレの彼女、ミン・ヒョリンはここでバイトしている。

韓国では名のあるバレリーナとして活躍して、そして此処の大学ではミスに選ばれている。

この国の皇太子のオレに見合う女・ミン・ヒョリン。

この間、皇帝陛下が倒れてしまって、さっさと婚姻して世継ぎを作りなさいとお祖母様からの命令が下った。

今までこの話題をかわしてきたが、もういい加減腹を決めないといけなくなった。

今日は、この後公務があるので、この時間に彼女にプロポーズしようと思っている。

彼女は、オレの気持ちを察してくれ、女特有の五月蝿さもない。

潔癖性のオレのことを理解してくれて、触ってきた事は一度もない。

プロポーズするという事は、オレの苦手な事をしないといけない。

ずーっと避けていた事をしないと、後継者は出来ない。

こればっかりは仕方ない。

婚姻のついでの勉強の成果を発揮しないといけなくなった。

MOON BUCKSCOFFEEのエプロンを着たミン・ヒョリンはオレに席を勧めてきた。

「シン、この席が良いわ。」椅子を引かれて座った.

ここの従業員は皆、綺麗で品のある者だけが選ばれ、競争率が凄いそうだ。

席に着き、カバンからある物を取り出し膝に乗せた

何時も釣るんでいる奴らが、オレに教えてくれた婚約指輪。

赤いベルベットのボックスは、カルテェで注文した。

やはり、皇太子たるもの、最高の物を送らねば。

少しの間暇を持て余していたが、ヒョリンがやってきた。

「お待たせ。」トレイから温かそうな湯気が出ているカップを置いた。

「シン、ここにも紅茶は置いてあるのよって誘ってたのにね。でも、ようやく来てくれたから許すわ。」綺麗な微笑みをオレに向けてくる。

まっ、一先ず落ち着こう。

差し出されたカップを持ち上げ、香りを楽しもうと。

うん?

もう一度、香りを、くんくん。

こうなったら、飲んでみないとな。

一口、口に含んだ途端。不味い!これは、非常に不味い!

「シン、この茶葉はねー。ここのショップで一番高いヤツなのよ。どう?美味しいでしょう?」ニコニコと聞いてくる。

困った。

そんなお高い茶葉を殺せるんだ?

あり得ない!

カルティエのボックスに手を掛けて、オレは悩み始めた。

皇帝陛下が倒れてしまって、婚姻をと急かされて、知らないどっかの王族の女と結婚するより、付き合っているヒョリンにプロポーズしようと来たのに。

紅茶を愛するオレは、茶葉を殺すような奴とは無理だ。

嫌-っ、本当にどうしたら。

無理だけど、ヒョリンとは気心も知れているから、紅茶の事は目をつぶろうか。

仕方ない、もう次の女を探している時間などない。

「ヒョリン、これ。」ボックスを、彼女の前に差し出した。

「え?」赤いベルベット素材の箱は見るからに、お高いのが分かってしまう。

「シン?」

「皇帝陛下が倒れた事はもう知ってるだろう。それで早く婚姻しろと言われた。で、付き合っているお前なら。」さりげなく、さり気なく行ったつもりだ。

「婚姻?」驚いた顔。

「あぁ、付き合っている彼女で良いから連れて来いと言われたんだ、だから、ヒョリン。」

「シン、これは受け取れないわ。」スーッとテーブルの上を戻ってくる赤いボックス。

「!?」意外な事で言葉が出ない。

「私、シンのこと好きよ。でも。婚姻はしたく無いわ。だってバレエを辞めなきゃいけないなんて、絶対に無理。」ニッコリと微笑む顔はずーっと変わらないままだ。

暫くの沈黙。

ハッと気が付き、赤いボックスを眺める。

もしかして、オレって振られたのか?

皇太子が振られるなんて…ヤバイ・・どうしたら。

1人で焦り始めていると。

「どうぞ、気が焦っている時にはこれをお召し上がりください。」可愛い女性の声がした。

フッと見上げると、大きな丸いメガネのおさげの女が立っていた。

えっ?ここのコーヒーショップのエプロンをしているって事は従業員なのか?

まじまじと見てると「なにか?温かいうちにお召し上がりください。」ニッコリと笑う。

焦っているオレは、何とか気を落ち着かせようと。

そのカップを持ち上げた。

途端、今まで嗅いだことのない香りが鼻を刺激し始めていく。

なんて良い香りなんだ。

何度もカップを揺らし、香りを堪能した後、一口、口に含みホーーッと溜息を吐いた。

「美味しい。」

「良かったー。」ニコニコと笑っているおさげの女。

「こんなの飲んだ事がない。」又香りをかぐ。

「もしかして、プロポーズ断られたの?」ズバリと聞いてくる。

「・・・・。」オレは何も言わない。

「じゃあ。」声を出した彼女の方を見ると。

彼女は指先を宙に向けた。

シャララと言うちょっと擦れた音が鳴り、彼女の指先からゆっくりと木の棒が出てきた。

「!!!???」見た事もない光景に、目を見開ていると

「驚かせてしまった?だってこれがないと魔法は使えないもん。」おさげで丸いメガネの女は、自分の体に杖を向けて呪文のような言葉を言った。

杖の先からは優しい光が溢れ出し、彼女を覆っていく。

ダサい姿の彼女だったのに、一瞬で姿が変わってしまった。

黒いとんがった帽子、黒い服、黒いブーツ…「さー―っ、やりましょう!」艶やかな黒い髪はゆらゆらと揺れていて、メガネは何処に行ってしまったんだ?

キラキラと光る鳶色の瞳。

真っ白な肌に、長い脚。

顔も猫のように愛くるしい可愛いらしさ。

それに、黒い服は際どく、彼女の形の良さそうな胸の中心部分を微妙に隠している。

もしかして、角度によっては見えてしまうのではないか?ドキッと胸が高鳴った。

メガネがなくなり、可愛い目がオレの事を真剣なまなざしで見ている。

「じゃあ、一緒に。」ニッコリと笑い杖を振りながら歌い出した。

「サラガドゥラ メチカブラ ビビディ・バビディ・ブ―」彼女が歌い「ほら、あなたも!」

この歌詞は、遠い昔に聞いていた、曲と重なる。

まだオレたち家族が仲良く暮らしていたころ。

皇后がまだオレの母親だったころ、二人で良く歌っていた歌。

「そんな歌、歌える訳がない。」キッと睨んでやる。

「これ、歌じゃないよ。呪文だよ。魔法使いの定番の呪文。その人の願いを叶えてあげる為には、その本人も唱えないといけないんだよ。

皆、勘違いしてるけど、呪文だからね。」サラガドゥラ メチカブラ ビビディ・バビディ・ブ―、彼女の可愛い声は呪文を繰り返す

「ほらっ、プロポーズやり直して、リトライしよっ!」ニコニコと笑いキラキラと溢れ出す杖をオレに向けてくる。

「やり直すことなんて、出来る訳ないだろう?」呆れた。可愛いなーと思っていたのは、訂正だ。

「出来るよ!」彼女の真剣な言葉は発している後ろでは、物事がゆっくりとプレイバックしていく。

正しく言うと、オレと彼女以外の人モノの動きがおかしい。

「ほらっ、時は戻り始めているんだよ。早くシン君が呪文を唱えないと希望の通りに止めれない。」サラガドゥラ メチカブラ ビビディ・バビディ・ブ―、彼女の口からは呪文が続く。

「そんなことが・・。」自分の範囲を超えているこの現象にめったに動揺しないオレが狼狽えるなんて。

「さー―っ、シン君!」杖を又振ってオレを指す。

「・・・さら・・。」こうなったら、言ってやる!

「サラガドゥラ メチカブラ ビビディ・バビディ・ブ―」ようやく言えた呪文は、一瞬光ってプレイバックしていた全てを止めた。

「シン!ようやく来てくれた。」オレの側に近寄って来たミン、ヒョリン。

えっ?さっきまで座っていただろう?

ようやく来てくれたって?まさか!?辺りをキョロキョロと見渡すと。

レジの向こうに側に、大きなメガネを掛けて、おさげの女がオレを見てニッコリと笑っていた。

「マジかよーっ。」本当に逆戻りしてしまった。

この有り得ない状況にただビックリしているオレにヒョリンは、首をかしげて「シン、どうしたの?」言葉を掛けてくるが、オレの目はレジの向こう側を見続けていた。

お前は何者なんだ。




皆様、こんばんは。

今日はバイトがお休みで少し早いアップです。

このお話はこれで、終わりです。【汗)

すみません、もう眠いのでおやすみなさい。