「不味い。」苦味を噛みしめた顔。

室長のテーブルの前に立っていた私は肩をすぼめた。

 



この経理部では飲み物は各自で準備すると言う事になっているが、お客様や手の離せない人、つまり室長が飲みたいと言えば先輩方が争って準備していた。

でも、今日は運悪くファイルを片付けようと歩いていたら、呼ばれてしまった。

頼まれた瞬間、今日は仏滅だとガッカリと歩き出し、先輩達のずるいぞ!!と言う目で見送られながら、コーヒーを準備し室長に渡した。



「シン・チェギョン!何時になったらコーヒーまともに淹れれるんだ?」ギロリと睨む目線は私だけに向けられている。

「すいません。」周りの皆さんの目が痛い、モーッ、穴があったら入っていたい。

「どんな淹れ方してるんだ。」ジーっと見上げてくる真っ直ぐな目。

私はこの目が苦手だ。

なんでも見透かされているようで、まともに直視出来ない。

室長は荒々しく椅子から立ち、私を見下ろし、クイっと扉を顎で指した。

「え?」

室長は歩き出し、私が付いてくるのを待っている。

急な事で付いて行くのが遅れたら

「シン、チェギョン!さっさと来い!」室長の良い声が響く。

「はっ、ハイ!」慌てて室長について行くと、みんなの目が頑張ってと言ってくれていた。

廊下に出ると、室長は給湯室に入って行った。

「?」黙ってついて行くと、こっちを向いて立っていた。

「ヒッ。」小さく呟く怯えの声。

ギロリと見下ろされる。

「とって食う訳じゃないから、中に入って来い。」室長はコーヒー用のポットに水を入れ、火にかけた。

「コーヒーを淹れてみろ。どんなやり方をしているのか、見てやる。」

私は何時も通りにコーヒーの準備を終え、後はポットのお湯が沸き立つのを待つ。

それも隣には、腕組をしてジーっと私のやる事を見ていた室長がいる。

この狭い給湯室に重~い空気が漂う。

耐え切れない!普段怒られてばかりだし、今もコーヒー淹れてみろと、二人っきりだし。

わーん!誰か来てー!と胸の中で泣いていると、うん?微かに良い香りがする。

クンクン、どうやら室長から香ってくる。

チョットだけチロッと見上げてみると、室長、辛そうな顔。

「室長、辛そうですが、大丈夫ですか?」恐る恐る聞いてみた、

「嫌、大丈夫だ。」苦笑いをして「嫌、きっとさっきの不味いコーヒーのせいかもな。」意地悪な言葉に、私はムッとした。


ポットのお湯が沸く音が鳴り、火を止めた。

私はいつも通りにお湯を注いでいく。

あーっ良い香り。

コーヒー飲めないけど、この香りが好きなんだよねー。

コポコポと注いでいると、なんか幸せな気分になる。

ユル君と結婚したらこうして、コーヒー淹れたあげたりするのかなー。と、ニヤニヤけていると「おい、零れてる。」室長の声でハッとなった。

「あっ、すいません。」ちょっとだけ零れてしまった。

「飲ませてみろ」グイッとカップを持っていく大きな手。

ドキンっ。

室長からの香りと、コーヒーの良い香りが混ざり、クラクラしてしまう。

「うーん、さっきよりは不味くないな。」全部を飲んだ

「本当ですか?」ちょっとだけキモチが上がる。

私の顔をジーーっと見てくる室長。だからその苦しそうな顔辛そう。

「さっきの淹れ方を見ていると、お湯の注ぎ方が早いから、ゆっくり注いでみろ。次はオレが淹れて見せるから。」フィルターに挽いた豆を入れ、お湯をゆっくりと「この時には淹れてやる人の為にキモチを込めて淹れると。」淹れ終わったコーヒーを私に渡した。

「えっ?コーヒー飲めないんですけど。」コップを持ってモジモジとする。

「じゃあ、試しにちょっとだけ飲んでみろ。」だから、その切ない顔で差し出されたコーヒー、飲めない筈なのに口元に持って行った。

途端、美味しい味が広がる。

「美味しい。コーヒーを美味しいと思ったのは、初めてです。」わーー―っなんかちょっと感動。

「オレが心を込めて淹れたんだ。美味しいに決まってる。」ポケットに手を入れ、シンクに腰を掛けている室長。

室長から香る高そうな香。そして美味しい琥珀の色と香り。この狭い給湯室に二人っきり。

般若って嫌っていて、室長とこんなに話したのって初めてかも。

ユル君よりも細く背が高い。キッチリとセットされた髪型は性格が出ているのかなー。

ポケットから出ている手の甲が男らしい手で、なんかドキドキしてきた。

キモチを落ちつけようと、慌ててコーヒーを飲んでしまった。

ゴホッ,ゴホッゴホゴホ。変な器官に入ってしまって、咳き込んでしまった。

「オイ!大丈夫か?」心配そうな顔で私の背中を叩き始めた。

「ちょっと慌てて、ゴホ・・ゴホ・・飲んだので。」見上げた先には室長の顔が。

「!!!!トイレに行ってきます。」ゴホゴホッ咳き込みながら私は、給湯室、嫌、室長から逃げ出してしまった。









「そう言えば、コーヒー飲めるようになったのは、シン君が淹れてくれたコーヒ―のお蔭なんです。」

ここはシン君のおねーさんのお店。

シン君の想いに応えた私は、世界一嫌いだった人と付き合っている。

何時も通りにカウンターに座り、食事も済んでデザートのコーヒーアフォガードを食べている時に、おねーさんに聞かれた。

「チェギョンちゃんって、イメージ的にコーヒー飲まなそうなのにね。」コーヒーのフィルターにコポコポとお湯を注いでいる。

「最初は飲めなかったんですけどねー。」アハハっ、最後の一口を口の中に入れて蕩けたアイスと一緒に自分も蕩けた。

「おねーさん、今日のも美味しかったです!」ナフキンで口元を拭こうとしたら「ほらっ、此処にもついてる。」シン君の親指が私の頬に付いたアイスを拭き取る。

「全くいつもラブラブだね。はい、先にシンのね。」お持ち帰り用のコーヒーのカップを渡してくれた。

蓋を開けて、一口を飲み「相変わらず美味しいな。」

「韓国一の料理人が淹れるコーヒーが不味かったら大変よ。」ニヤリと笑いながら、私の分のカプチーノを作ってくれている。

「そうだ、コーヒーって性欲増進の効果があるって知ってた?」又もやニヤリと笑うおねーさん。

「おねーさん!」真っ赤になる私。

「強力じゃなくて少しね。だから、カップルが食事の終わりにコーヒー飲むのって、お互いを誘っているって、お客さんが言ってたの。」カプチーノも出来上がり私に渡してくれた。

「シンは、知ってたよね?」ニヤリと笑う顔はシン君とそっくりだ。

カップのコーヒーを一口飲んで立ち上がり「さあね。」そ知らぬ振りで、私を椅子から立たせてバックも持ってくれた。

「じゃあ、又。」2人でコーヒーのカップを持ちおねーさんに挨拶をする。

「程ほどにね。」手を振りながら見送ってくれた。




シン君の車に乗り、シートベルトをしている時

「シン君がコーヒー飲んでいる時って、無性に傍にいたくなるんです。もしかして。」又もや頬が熱くなる。

「さあね。」クスッと笑いながら、エンジンのスターターボタンを押した。

シン君の笑った顔が妖しい。嫌、色っぽくて心臓が高鳴り、私は慌ててカプチーノを一口飲み込んだ。

シン君の車に広がるコーヒーの香。

密室空間はお互いのキモチを高めていく。

「今日は、いっぱい、いっぱい愛しちゃってイイですか?」オンナから言うのも恥ずかしいが。

「チェギョンの気が済むまで、どうぞ。」街のネオンの灯りがシン君の顔に反射されて、見惚れてしまった









シン君の部屋のソファに座り、お互いに最後のコーヒーを味わう。

「おねーさんに聞かれて、あの給湯室の事思い出しました。」空になったコップをギュッと握る。

「あの頃、ミン・ヒョリンと結婚しないといけないと諦めていた頃だった。

でも、お前へのキモチを捨て切れなくて悶々としていた時に、あの給湯室の出来事はオレにとって最後の思い出だと思ってた。

あのコーヒーにオレのキモチいっぱい入れて注いだけど、お前は咽ちゃったけどな。」苦笑いのシン君。

「シン君。ごめんなさい。」そんな想いだと知らずに、シュンとなる。

「お前が謝ることないさっ。」私の頬に大きな手を添える。

「あの頃、この頬に触れたくて、この鼻に触れたくて、この唇に触れたくて、眠れない夜を過ごしていた。」親指で鼻や唇をゆっくりと触っていく。

「でも、今は奇跡が起こり、オレの元にお前がいる。それだけで。」

「それだけで、良いんですか?」シン君の大きな手に自分の手を添える

ハッとなる顏は直ぐに意地悪な顔になり「いっぱい、いっぱい愛してくれるんだよな。」

「コーヒーの効果だけじゃなく、シン君そのものが私の性欲増加です。」真っ赤になりながら、シン君の体をソファに押し倒し、軽くネクタイを引っ張りながら、軽く唇を重ねた。

唇が離れ、恥かしいけどシン君を見る。

「メガネ取ってもいいですか?」そんな色っぽい顔で私を見上げて、メガネを外す手がちょっとだけ震えてしまう。

そして、ネクタイなんか外すこと出来なかったのに、今はキュッと指を入れて外してあげれるようになり、首元のボタンを外してあげる。

首元が楽になったシン君は大きく息を吐く。

オトコの人にも色気があるって事をシン君で知った。

ボーッと見惚れていると

「お前がオレの元から離れて行かない様に、深く深く愛を注ぎたい。」囁く声は私の体に響き渡る。

「いっぱい、いっぱい愛します。」シン君に伝わるように,ゆっくりと呟いた。