田舎の貧乏な家庭で育ちました。


両親は熱心な新興宗教の信者で、兄は知的障害者でした。


父は昭和あるあるで子育てに関わらず、学校の行事には一度も参加しませでした。外面は良いのに家庭では無口で口を開くのは怒る時だけで、突然キレる父を叔母は「ヒステリックだから」と呆れていました。人の失敗が許せないみたいで、間違えたり失敗をすると直ぐに怒る人で、母の事は何時も馬鹿にしていました。他人から馬鹿にされるのが嫌なようで、見栄張りでプライドが高い変わり者でした。


母もかなりの変わり者で、兎に角意地悪。他人との会話でも皮肉や揚げ足を取ったり、人の成功が悔しいみたいで、そんな話題があると何時も貶していました。図々しく厚かましく品がなく礼儀作法は皆無。他人からの指摘も「そんなことはいい」と一言で言い返し全く受け入れない。人に嫌われている事を気付いているのか?嫌われて相手にされないから更にするのか?分かりませんでした。

料理は下手と言うレベルでは無く面倒臭いみたいで適当。掃除もやらず家の中は散らかり放題で、そのくせ私の部屋を掃除をするように叱り納得できずに反抗していました。洗濯はやるけど取り込んだら家族全員分の服をたたまずに、そのままカゴの中に置きっぱなし。子育ては世話をするけど人としての教育は放棄。


貧乏・宗教かぶれ・兄弟に障害者・崩壊家族


まるで底辺のフルハウス


私が思う「そんなの嫌だ」と思い描くそのままの家庭環境。普通と違いすぎて本当に恥ずかしかったです。


ですが父は父で、母は母で、不器用は不器用なりの家族を育ててきたのだと思います。


そうじゃなきゃ、私は今ここに居ないからです。


父はプライドが高いから他人に馬鹿にされたり笑われるのが嫌で、外面は良く家族の失敗や間違いが許せなかったのかもしれません。


母は障害がある兄を出産したことで、時代背景もあり周りから責められたりしたのだと思います。人に心を傷つけられる前に、人に気分を害する事を言ったり意地悪を言ったりして、先に人を攻撃するようになったのかもしれません。

ただ兄が小学生の時に1度だけ描いた絵が先生に褒められ、校内の文集の表紙になったことがありました。母はそれが嬉しく勇逸兄を誇れる出来事だったようで、文集を箪笥の引き出しに大事に保管していました。


今だから分かることは、新興宗教の教義より勉強や心の豊かさを育て教えの方が大切で、その事ややり方を両親は分からなかっただけです。

分からなかった両親に育てられた私も分からなかったのです。