健康と病いを考える 9 不健全なる肉体に宿る‼️ | もしも~し、お寺ですョ

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妙栄寺 公式ブログ

健康病い

とても興味があり
とっても身近であり
人生の根幹と言うべきか!

年齢・性別・人種・言語
市町村・県地方・国家・人間
その全ての共通の事象が

健康と病い

であると断言出来るでしょう。

おそらく人類の有史以来、
常に探求して来たテーマが
人体の健康なのであろうし、

健康を願って祈る

そういう祈りが、、、
何億回、何兆回もあった。
そこには純粋なる宗教心で
人生における救済を求めた。

幼い我が子がーーー
高熱を発したり、、、
事故に遭ってしまった、、、
その時の父母の心は、

純粋な心からの祈り

というのが現実でしょう。


健康であってほしい・・・
元気に育ってほしい・・・

ここには何の見返りもない。
我が子が元気でいてくれるなら
全てを捨ててもいいーーー、
そんな切実な親の心も、
人類の有史以来のものだ。


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そして、この状態と
全く同じ事象として

健康

という事も
求められているはずです。

健全なる精神は
健全なる肉体に宿る

そんな言葉がありますが、
実は皮肉な話として、、、

人間は健康過ぎると、
「悪い事」を始める‼️‼️
健康な人間ほど、、、
欲望が強くてワガママだ!
故にね、、、

健全なる精神
不健全なる肉体に宿る‼️

→こっちが正解‼️

そんな考えもあるそうです!

納得‼️ 納得‼️

苦しみを知った人の方が
人に優しくなれると言います。
深い悲しみや強い苦しみから
人は抜け出そうとする。

そこには解決すべき
重大な問題がある‼️

このプレッシャーが、、、
人の精神を育成する。。。


健康でいたい‼️
こんな重要なテーマですが
そこが人生の醍醐味であって
病いに苦しむからこそ、
真の健康の意味が分かる‼️

そこには正しい
宗教的な精神が
根本原理として
作動している訳です。


宗教というと
オウ⭕️であるとか、、、
統一⭕️会、創価学⭕️、、
幸福の科⭕️、世界⭕️済教、
日本の戦後に流行した
数々の新進宗教のために
宗教という言葉は
すっかり汚れてしまった。

今の日本の人たちにーーー


宗教心を
育てよう‼️


などと訴えたならば、、、

また、金💰を
貪るの集団かよ!

 ーーーと言われてしまう。



でも、本当はそこではない。
もっと身近で根源的で
生活の基本中の基本が
宗教心の成長であり
その宗教心が正しいならば

健康な人生‼️
家族の幸福‼️

ここに繋がるものとーーー
私は考えております。


100%健康でなくても!
否、多少の病気を抱えながら
人生の幸福の道が、
広がっていると考えます‼️


調整と維持


そんな地味な生活の確立が
健全なる精神をつくる‼️
そこに健康生活が実現する‼️


みんな、
そう〜ありたいと、
願っているはずです。



( ̄∀ ̄)