仏教生活 6 掃除 | もしも~し、お寺ですョ

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こういう事を言うと、
一部の人からは
避けられてしまうかも。


仏教生活


と題したからには、
具体的にどんな事を
生活の中で行うのか?


いろいろとあります。
いっぱいあり過ぎて
きっと書き切れない、、、

ただ、それは、
1人の人が全部やる!
という事ではなくて、、、
その中の幾つかを
自己の指針として実践する。
そういうタイプです。

私は、自分の性質上、
掃除ということに
仏教の基本を感じています。

でも、だからと言って、
一日中、ずぅーと、、、
掃除するはずはない!

あるいは、
清掃のプロがやるように
あらゆる機械を使ったり
いろんな薬品を使ったり
ねこそぎに綺麗に❗️、、
ーーーという事でもない。

それは毎朝の、、、
ルーティンのように、
今日はここ、今週はここ。
しかも、30分。
時には3時間、、、。
一日、一週間、、、
サイクルをつくって
順番に当たって行く。。

ご存知の通り、、、
建物や屋外は管理は
一週間も経てば、、、

と・ほ・ほ・・・

となってしまいますよね。

でも、そこばかりに、
手をかける訳にはいかない。
だから、サイクル、、、
順番にやるしかない。


掃除に臨むには、
自分の中でのパターンが
いくつか創られてしまう。

草を刈るとき
葉っぱを集めるとき
これを収拾するとき。

雑巾で拭くとき
掃除機をかけるとき
窓を拭くとき
物を整理するとき、、、

どれも規則性がある。
滅茶苦茶には出来ない。
終わった時に、、、
自分で納得をして
スッキリとしなければ
掃除を行った甲斐がない‼️


私は掃除のプロではない。
だから、、、
誰かにやり方を習って
その理屈通りにやるという
そんな義務はない、、。


私自身の中で、
その机の拭き方を考える。
葉っぱを集める方向を
風向きを感じながら
決めてよい訳です、、、


【仏教のお弟子の話】


チューラパンタカ
周利槃特 (しゅりはんどく) 


インド北部に、2人の兄弟がおりました。兄はとても賢くて、釈尊の教えをよく理解し、深く仏教に帰依していました。

弟の名は、周利槃特。
ものを覚えるのがたいへん苦手で、自分の名前すらも覚えられずいつも人から笑われていました。
そんな彼に対してお釈迦さまは、1本のほうきを渡して、このように言いました。


「ちりを払わん
垢を除かん」


と唱えて掃除をするよう告げたのでした。
こんなに短い言葉でしたが、彼は来る日も来る日も唱え続けました。自分の道は自分で探さなけらばという必死の思いと、ちりを払う、あかを除くという釈尊の教えとが重なって、だんだんと、周利槃特の心の中で、問いが熟していきました。


そうだ
ちりやあかとは
私の執着の心。


そうだ
私の執着はちりなのだ。
私の執着は垢なのだ。


これによって周利槃特は、小さな悟りを得て、賢くなったその後の人生を生きていく人になったのでした。


生活の一端に、
お釈迦さまの教えがある。

つまらない出来事に
お釈迦さまの覚りがある。

古来、日本人は、
このような質素な中に
人生の根本を感じた。



     違うかな?


( ̄∇ ̄)