私の仕事・墓地管理2 | もしも~し、お寺ですョ

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妙栄寺 公式ブログ


ーーーという事で、、、

お寺はそもそも、
お釈迦さまのお話をして
それぞれの人生の教え、
指針となるための所です。

たまたま本家の長男よりも
分家の二男、三男の方が
そういう信仰の話に
興味をもって学んだりする。

そしてお寺に通って
そこのお坊さんと親しんで
おそらく世間話なども
するようになるーーー  、

そんな中、分家さんの家で
ご不幸が起こる、、、
お寺に通っていた二男さん
その方が病気で亡くなる。

奥さんや子供さんたちは
生前、父親がお寺に
通っていた事を知っていた。
そこでお寺さんに相談する。

お葬式を上げて欲しいこと
そして、、、
我が家には墓地をつくる
土地がないから、、、

お寺の裏山の一画に埋葬
させてくれないだろうか?


ーーー きっと、、、
そんな相談があっただろう。

家墓の作れない人たちは
自分たちが信仰した
お寺さんの裏山に、、、
自分の信ずる仏さまの元に
永眠したいーーー と願った。






ーーー うちのお寺にも
古くからの過去帳
というものがあります。

その始めは江戸初期の時代。
この辺りの村の人たちの
記録が簡単に示されている。

⚪︎⚪︎村 吉右衛門 戸主

こんな感じの表記です。
まだ苗字はない、、、
年齢も載っていない、、、

そして明治時代になると
途端に苗字が始まる。
年齢も表記され始めて
施主との続柄などが
記されてきますーーー  。

これはどういうことか?
実は、、、
江戸幕府の方針で、
ある村で死者が出た時に
その人をお寺の山に葬る。
ーーーつまり、過去帳に
記されるという事から、、
そこで村人の台帳を作って
村民の管理を考えた‼️



檀家制度

という制度は、、、
幕府が寺院にお役所仕事を
依頼したという事から
始まったそうであります。

それが明治時代になって
確立してのでしょう、、。
だから、明治時代以降は、
故人の履歴が江戸時代より
更に少し詳しい、、、。

また時代の推移と共に
村が町になり、、、
人口もどんどんと増えて
町に家が建ち始めた、、、

それは昔のような広い土地
などではなくて、
小さな庭の狭い土地です。
ですから必然的に
墓地はお寺へと移った。

農家だった家が会社を創設し
サラリーマンとなった。
サラリーマンは、、、
日曜日以外は会社勤めとなり
お寺に通う人たちが
激減して行ったであろう。

それに伴い、
信徒さんからのお布施も
どんどんと激減してしまい
お寺の維持、管理、運営が
困窮して行く、、、

町には役所が出来て、
町民の管理はお寺ではなく
役所が行うようになった。

こうなると、、、
お寺の維持のために、
墓地への埋葬に対して
応分の財力を求めるーーー 
そこで、、、


墓地管理


というお寺の運営が始まる。

それはおそらく、
とても短期間に変わった。
時代的推移と言ってしまえば
それまでですが、、、
実に自然に、、、
当たり前のように、、、

お寺は教えも説くけれど
人生の最期に関わって
信徒さんのお葬式を上げて
そのご遺骨をお寺の墓地に
埋葬する、、、

お寺と檀家という関係が
きっちりと確立した。。。

勿論、日本人全てではない。
檀家制度の影の力として
キリシタン弾圧という
そんな幕府の思惑もあり、
昔の日本人のすべてが
お寺と縁を結ぶはずはない。

どこのお寺にも属さず
神道の信者であったり
キリスト教徒であったり
ーーーそういう方のために
行政が公営墓地を設けた。

そしてやがて、、、
その墓地運営は民間企業にも
その触手が延びて、、、
民営墓地も登場する。


斯くしてお墓は、、、

寺院墓地
公営墓地
民営墓地

  こうした種類となった。



    ーーーらしい‼️


( ̄∇ ̄)