足りないもの 4 | もしも~し、お寺ですョ

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足りないもの。

人には、何かしら、
足りないものがある。

これをそれぞれ、
挙げて行くと、結局、
悪口になってしまう、、、。

悪気はなくても、
聞いた方はーーーーー、
           「耳が痛い‼️」
       と、いうことになる。

それならば、その矛先を
お寺に向けてみよう。

うちのお寺に
足りないものは何か?

ーーーーーーーーーーーー、
考えて行けば、
いーーーぱい、ある!。

だが、その中でも、
何が一番の問題なのか?
と、いうことが
自分ではよくわからない。


うちのお寺について、
その種類としては、

檀家寺

という立ち位置である。


檀家寺に対等するのは、
観光寺と祈祷寺(信者寺)。
日本のお寺は、
ほぼこの三種類と言われる。

どの種類のお寺も、
基本は仏教寺院ということ。
でも、この三種類のお寺は
その運営状況というものは
かなり異なる。

京都に行けば、
京都の観光寺のパワーは
やはり世界規模である。

今、ちょうど、
紅葉の時期になるので
京都のお寺は
大渋滞が続いているだろう。

京都を相手になど
出来る立場ではないが、
お寺にも千差万別、
いろいろな違いはある。

大きな幼稚園を
経営しているお寺もある。

広大な敷地内で
霊園を運営しているお寺。

信者さんが定期的に
参拝に来られて、
所願成就のご祈祷をする、
ーーーーというお寺。


うちのお寺は、
檀家さんのご先祖様から
継承されるお墓を
護持管理しながら、
仏事法事を通じて
檀家さんに仏教を伝える、
そういうタイプのお寺。

この檀家寺が
日本の寺院の大半です。

そんな檀家寺にとって

足りないもの

       とは、何であろうか?



支障があるので、
限定して考えたい。

数ある檀家寺の中でも
うちのお寺にとって
足りないものは何か??

それを考えてみよう。



まずは1つ目。

開  放  感

うちのお寺には
これが足りない気がする。


開放感って、、、
いろんな意味でね、、。

檀家寺という体質は、
檀家以外の方に対して、
まぁー、拒絶反応とは、
言いませんけど、、、
2つの意味で警戒がある。


1つは、
相手がどんな方か、
わからないから単純に
警戒します、、、。

檀家寺ですから、
このお寺に来る方は
ほとんどがお知り合い、
という訳です。

知らない人が突然来て、
お参りさせて下さい!
ーーー なんて言われると、
正直、警戒します。

世間では、
お賽銭とか仏像の盗難が
あると聞きます。
そういう犯人は、
昼間、下見に来て物色する、
そんな話もよくある。

そういう話もあるので
うちのような檀家寺ですと
知らない方のお参りは、
警戒モードになります。


そしてもう1つの理由。
例えば、
「こちらでお葬式、 
    やってもらえますか?」
という話に対して、
「はい、どうぞ!」
とはならないーーー。


それは、その方に、
もしかしたら別の宗教、
別のお墓の管理などが
あるかも知れないからです。

一般の方は宗教に対して
「なんでも自由だ‼️」
と、思っている?
         ーーー  かも知れない。


法律の中に、

信教の自由

          という言葉があると、

それは何してもいい!

          と勘違いする人もいる。


しかし、これはそれこそ
勘違いである、、、。

その宗教には、
その宗教の思想がある。
その寺院にも
その寺院の教えがある。

思想や教義に対して
信仰をもたない、
その思想を認めない、
そういう方に、
戒名は授与出来ない。

寺院墓地というものも、
そのお寺の宗教の教えを
信仰する家族だから、
お墓として永眠することを
許可するのが根拠である。

そういう信仰の違う方が
突然来られるのも
警戒モードになるのです。





ーーーー こんなのを
読まれますと、、、

あー確かに
開放感は
ないな!

     と、思われるでしょ?


そうーなんです。

これはわかっている。


今日はまず1つ。


うちのお寺の足りないもの、



開放感



でした!


( ̄▽ ̄)