認知症を患っている人の発言を

鵜呑みにするのは危険


全く状況を知らない人が聞いたら

本当の話のように

スラスラと物語が出来上がる

しかも毎回同じ話をすることができる


でも何回も話している

ということがポイント!


いつもと違う内容が追加されていないかを

聞き耳たてながら聞く

他は聞いているような感じでいるといい



体調が悪いときは暴言もでる


暴言をまともにきいていたら

つらくなるだけだし

聞き流すっていうのも

モヤモヤがたまる

違うと否定するのはよくないと

よくいうけれど限界がある

ましてや

暴言に暴言で返すように

なったら自分のことがいやになる


こちらが消耗します


直接言われるわけだから

聞き流せるわけないじゃないか!

と思います


そんな色々な感情がある会話のなかで

発言の真相を見極めることの大切さが

あるということ


聞き流す場合や聞き流さない場合

きちんと否定する場合や説明する場合

色々な場合があるなかで


またありもしない話をしてる

また同じ話がはじまったと

軽く聞いていると

真実を聞きのがすことがあります



いつも

ほんとかな~?と

全て疑うのも嫌なんですが

でもそのくらい

真相を見つけるのに

時間がかかります


自宅なら

「昨日◯◯さんから電話が来たよ」や

「さっき◯◯さんが来たんだ」と

言ったらそんなわけないだろうと思っても


「そうなんだね」と返事をしながら


本当かな?しばらく聞かない人の名前だな

と思いながら過ごす


何回も話が出てきたら

曜日や時間帯などがわかってきたりする



外での発言

外出先で食事したことを数時間後に


「さっき何食べた?」と聞いてみたとする


「何も食べないよ」と言っても


「一緒に食べたじゃないか!」と言わないで


一緒に食べに行ってきたけれど

行ってきたこと忘れたか食べたことだけ忘れたか

判断しながらその場は過ごす



さっき言った話も忘れるのに

昔の話は覚えていたり

少し前の話は覚えているものもある


暴言も本当の気持ちではない

なんていっていいかわからない

それが暴言として出てきている


表現することが難しくなるから

ちがう言葉で言ってしまうことが

あるようだ


どことどこの記憶が一緒になり

ひとつの話ができあがっているのか

判断するのは私達



施設での話やデイサービスに行ったときに


◯◯だからいやなんだ

◯◯されるから行きたくない


そんな感じでマイナスな発言が出たときは


そんなわけないでしょうと

いつもの感じで鵜呑みにしないで

聞き流すのではなく

ここは真相の見極めが大切


本当にいやなことをされているかもしれない



家族を守るのは

真実を見極める観察力


どういうことなのか

色々な立場で考えてみることかな



これは私のひとりごと

他の考えを否定するものではありません