<47-262-176>
肉体:ランニング

知的:英語

精神:ビジョントレーニング
社会情緒:子どもの話を聴く

 

しばらくぶりです。

母が先月他界しました。

 

ちょうど前回の投稿した日に入院し、一週間あまりで旅立っていきました。

 

昨年の3月に一度危篤状態になったのですが、その時はなんとか取り戻して昨年6月末に退院し、

自宅で介護しながらなんとか1年過ごせたねと言っていた矢先でした。

 

母の死はその時(去年)に覚悟したので、

それからの日々はいつ何があってもおかしくないと思っていましたし、

その時に十分悲しんだので、儲けものの命だと感じていました。

 

それでもやっぱり現実は悲しいものでした。

私には大きなダメージでした。

 

私は40を過ぎ子育ても終盤、母は70を過ぎているのに、

それでも寂しいものでした。

 

人にはなぜ別れと言うこんなに辛いことが起きるのか?

それは人に出会うからだ。出会いさえしなければこんな悲しみを味わうことはないのに。

もう誰にも出会いたくない。でもすでに出会ってしまった大切な人が周りにたくさんいる。

 

人はなぜ出会うのか?

人はだれかとの出会いは無くすことができない。

誰かに出会い社会の中で生きる動物だから。

 

なぜ神様はそんな酷なことを私たちに設計したのか…。

 

そんなことをグルグルと考えていたけれど、

出口は見つからない。

 

っていうか、

答えなんてないのだから、考えていても、天を呪っても仕方ないよね。

 

「人はなぜ生きるのか?」

じゃなくて、

 

だったら、

「私はどう生きるのか?」

こちらに気持ちを向けよう。

 

そう思ったのでした。

 

これって、7つの習慣で言う、「関心の輪・影響の輪」。

 

自分ではどうしようもできない「関心の輪」にとらわれていては、エネルギーはどんどん小さくなっていく。

それに気づいたら、

自分が直接的(あるいは間接的)に影響を及ぼすことのできる「影響の輪」にフォーカスする。

そう、

私は困難な状況を切り開く力を持っているんだった!

 

そんなことに気づいたわけです。

 

ということで、

母の他界から1ヶ月以上たって、

ようやく「どう生きていこうか?」に気持ちを向けるようになりました。