<47-145-122>
肉体:ランニング
知的:英語のオンラインレッスン
精神:お休み
社会情緒:家族で海に出かける

 

友人の葬儀に参列した昨日と、その前日と、ブログをお休みした。

訃報が届いてから友人について、生きるということについて考えている。

ブログを休んだ言い訳みたいだけれど、

昨日はお酒を久しぶりにたくさん飲んで、ブログを休んで寝ることにした。

 

今のところ、その人の人生の答えはその人が決めるものだと思っている。

その人が自分の人生に感謝の思いを持てる人生であったらいいなと思っている。

 

人はなぜ生きるのか?なんの意味があるのか?については、

創造主に聞かなければ分からず、一般人である私は知る由もない。

ので、どれだけ考えても後付けの考えになってしまうだろう。

 

 

理由が分からなくても意味が分からなくても生まれるものは生まれるのだ。

本人が意識せずとも生まれる。生まれることに選択の余地がない。

なので、生まれたものはしょうがない。としか言えない。

 

人が生きるということは、

私は、その人自身が自分の人生に〇をつけること、または、

他者がその人が生きた認識を感じていることと思っていて、

 

前者は、本人の意思次第であり、本人が良かったと思えればいい。

後者は、他者の認識次第と思っている。

他者がその人によって影響をうけたことがあれば、その人はその他者の認識の世界の中で生きたことになる。

すっかり忘れられていたら、残念なことだけど、極端な言い方をすればその人はその他者の認識の世界の中では生きていないのと同義になるだろう。だから人は承認されることが物質的な食べものと同じくらい必須なのだと思っている。

 

ただ、生まれてきた以上、幸せを感じるか感じないかの2択であれば、

幸せを感じた方がいいのは万人に共通することだ。

意識できるところにあるので、幸せを感じるか感じないかは選択できる。
だとしたら、いいか悪いかで言えば、生まれてきた以上人は幸せを感じた方がいい。

 

なので、すべての生まれてきた人に、私は幸せを感じてほしいと思う。


 

つぎに幸せを感じる方法として、

マズローの5段階欲求、6段階欲求やアドラーの幸せの条件が、私はとても好きで、これを見ていると、

もちろん、環境や条件で左右される段階もあるけれど、それより上の段階では、

すでにあるものにフォーカスして認めたり、他者に貢献する喜びを得ることが必要だ。

 

上の段階に向かうほど、

環境に左右される他から与えられる幸せの感覚から、自分から感じようとするものに移行するように私は思っている。

 

幸せを感じる段階が上がるほどに、

本人の主体性、本人のミッション、しかもそのミッションが自己実現のもので終わらずに他者貢献につながるものになるほどに幸せの質が上がる。

これだけを見ていたら、お金持ちか、健康かなどの物質的側面によらないものだ。

お金が無くても、肉体的にハンディを抱えていても、幸せの質が高い人だってあり得るということだ。

 

主体的であること

ミッションを自覚していること

しかもそのミッションがより高い次元のものであること

これが幸せのヒケツだというのが、今時点の私の結論ということになる。

 

そしてそのためには、

誰かのモノサシで幸せを図ったり、自分の人生を決定する場所にいるのではなく、

自分のモノサシを持つこと。(こちらはサドベリースクールで実現中。)

 

自分のミッションをもっていること。

(こちらは7つの習慣を読むことで伝わるかな~。)

ミッションをもつことで、刺激に対しての反応を選択するようになってくる。

そして、自分だけを満たすミッションからより高次元なミッションに磨き上げていくこと。

(これに特化したコーチングを現在勉強中)

 

ということで、

私の中で実現したいことが、点が徐々に線を描きだしているかな…という感じ。

 

ただひたすら、

明日のご飯を求めて働いて人生を過ごしていた時代とは違うから、

昔よりも生きる意味を探すようになってきていて、

 

しかも、

未来が明るいと思っている人が少ないから、

やっぱり生きる意味は必要で。

 

だからこそ、

レールに乗ったこれまでの教育だけでは大変な時代だと思う。

 

まだまだこれから。

私の道を確立していきます。