<47-121-102>
肉体:ウオーキング
知的:読書
精神:瞑想
社会情緒:子どもの話を聞く
世の中は新学期。
子どもたちは一つ学年が上がって、新しい生活がはじまっています。
シードームには学年分けが無いので、
いつもと同じようにワイワイキャッキャと時が流れています。
いつもとちょっとだけ違うのは、
地元の在籍学校に少しだけ行ってから、
シードームにそのまま来る生徒もちらほらと居て、
「おはよう!さっき小学校行ってきたよ」と言う子もいることです。
まったくいつもと変わらずに、在籍学校のことはおかまいなしの子もいます。
それでも自分が在籍学校であれば何年生かは自覚しているようです。
どこでどう過ごすにせよ、
シードームに来る子たちは、「今日はここで過ごすんだ!」という気持ちを持っています。
その子の人生の今日と言う日、今という時間を、
どこで過ごそうか?どう過ごそうか?を決めるのは自分だということが、
生徒たちに、、いたって自然なようです。
私は、それがとても大切なんじゃないかと思います。
地元の学校に行くことが当たり前で、他の選択肢がことことなど思ったこともない人は、
今日と言う日をどこでどう過ごすかを選べるなんて思っていません。
自分の人生なのに、自分のことなのにです。
結果として、地元の小中学校に行って1日授業を受けることになるとしても、
選んでそうするのと、
それしかないと思っているからそうしているのでは、
得られるものも変わってくると思うのです。
選べるということは決めること。
決めるためには、知り、比較し、感じ、考えるので、大変だしめんどくさい。
だれかが決めてくれたらそれはラクだよ。
だけど、それでも選べたら、決めることができたら、
自分の人生をつくっていける。
自分の人生の舵を握り続けることができます。