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肉体:お休み
知的:セミナーに参加 
精神:瞑想
社会情緒:話を聞く

 

 

 

「正義を手放す」

 

これ、私の最近のテーマ。

 

自分のものさしをみんなそれぞれ持っていて、

それはもうしっかりしたものさしを私は気づかずに持っています。

 

我が家では昨年末からそれを「手放そう」って、子どもたちとやっています。

 

自分がものさしを持っていることを自覚して、

ジャッジしていることを自覚して、

それを手放していきます。

 

私よりも娘たちの方がまじめにやっていて、すごいな~と思うのだけれど、

きっとやったほうがラクに生きられるようになるし、

気にかかる出来事が起きることが減ってくるんだろうなあ。

 

そんなことを思っていたら、

Facebookの誰かの投稿で、「無礼講」というのを見かけました。

 

「今は無礼講」と思っていたら、何をしていても気になりません。

 

だとしたら、常に無礼講と思っていればいいわけで…(笑)

意識せずとも、周りをジャッジすることがなくなるという、何とステキなことでしょう!

 

ものさしをもつとジャッジする

ジャッジするとそれに合わないところが目に付く

目に付くとイライラする

 

そのスパイラルを変えるんです。

 

無礼講だから物差しがない。

ものさしがなければジャッジしない。

ジャッジしなければなにも気にならない。

 

これは自分の心にウソをつくのとも違います。

自分の心を大事にしないのとも違います。

 

そこは誤解されそうだけど気を付けたいところ。

 

心がざわっとしたときに、その存在は認める。

だけれどもジャッジする自分を選ばない。

それだけです。