「心配」する様子って、親切に見えると思いませんか?

 

わが子の将来を心配する

夫の健康を心配する

友達の恋愛を心配する

などなど、

 

誰かのことを自分のことのように心を動かすのは、親切の心からできることですね。

 

 

ただ、

自分の不安な状態から安心に向かうために、心配することがよくあります。

 

当の本人は不安でもない時に、

勝手に心配されて、

その心配からなんだか不安にさせられたり、

なんだか今の状態が良くないように思えたりすることです。

 

私は、

他の人に対して心配ってない方がいいと思っていて、

自分のことと他者のことと、分けて捉える方が、お互いのためにいいと思います。

 

ところがこれって、冷たく感じられがちですね。

 

 

でもね、「親切」とか「冷たい」とかって、

他人が決めることじゃなくて、

自分が自分の尺度で決めたらいいのです。

 

そして、「親切」とか「冷たい」は相手を心配するかどうかで決まることではなくて、

相手のことを大切に思うかどうかなのだと思う。

 

自分のことと相手のことを分けて捉えることと、

相手を大切に思わないこととは同じではありません。

 

 

そこを混同しがちなのでは??と思います。

 

相手のことは大切だと思うけれども、

自分のことと相手のことは分けて考える。

だって、相手は自分と同じように思うとは限りませんから。

 

むしろ、

相手を大切に思うからこそ、分けて考えて浸食しないようにするのです。

 

 

任せるとか、手放すとか、

自分と他者を分けて考えるとか、

それは、

相手を大切に思っているからこそできることです。

 

 

お母さんの仕事は「心配すること」だと思っている人がいます。

何か心配していないと、親業をやれてないと思って心配をしています。

 

いえいえ、

親がすることは、「心配すること」ではなくて「信頼すること」です。