こんばんわ~
上原です
今回は前々からTwitterでも書いていた
映画「三度目の殺人」の考察をまとめていきたいと思います
これから書くことは「三度目の殺人」「考察」「ネタバレ」などで
一通り調べて見当たらなかったことについて書きます
「それ、どのシーンだよ」とツッコミを入れたくなるかもしれないですが
もし気になったらぜひもう一度観てください(笑)
よくある「あらすじ」やらなにやらは省きます
まず一度目を見た時に「気になったシーン」から
・初めて咲江に会ったシーンの間→驚いていたような?
・重森の娘が万引きをしてしまったシーン→どういう意味があったのか?
・咲江の母が咲江の髪の毛の香を嗅いでいたシーン→なんの表現なのか?
・咲江が父親からされていたことを告白した後、重森が走って階段を下りた咲江を呼び止めたシーン→なぜ走った?
・雪で遊ぶ、重森、咲江、三角の三人のシーン→回想シーンじゃないし、どんな意味があったのか?
・殺人事件の三角の回想のようなシーンで頬についた血を拭っていたが拭い方が統一されていなかった→なぜ?
・裁判が終わり法廷から出来た重森の仕草→あの時の…
結構一回目見た時は疑問だらけでした
とくに「間」が気になるところが沢山あったんです
もちろん役者さんがお芝居されている意味のある「間」なんですけど
どういう意味があるのかわからなくて、もやもやがすごかった…
上に書いたことについて考察したことをまとめていきます
・初めて咲江に会ったシーンの間
初めて三角家を重森が訪ね、玄関に咲江が出てきたシーン
咲江を見て少し驚いたような表情をされていました
たぶん「娘に似ている」と思ったのではないかなと考えました
・重森の娘が万引きをしてしまったシーン
1回観ただけでは完全に忘れてしまっていました…
(ほかのシーンが重いのでそちらに気を取られがち)
万引きも罪ですよね…、そしてその「罪」を重森は肩書で無かったことにしました
・咲江の母が咲江の髪の毛の香を嗅いでいたシーン
いくら娘のことを愛していても、その愛情表現ってしなくない?と…
2回目観るときに気づきました
娘じゃなくて父親を感じたかったんだろうなぁ…と。
正直このシーンが気づいた時に一番鳥肌でした
・咲江が父親からされていたことを告白した後、重森が走って階段を下りた咲江を呼び止めたシーン
ここ説明するのちょっと大変
まず簡単に…「咲江の告白」をおそらく最初、重森は信じていませんでした
だけど咲江の帰り際、真実だと気づいたんです。だから走って呼び止めた。
そう考えた理由が以下です
三角と重森が接見した時にガラス越し(?)に手と手をあわせてぬくもりを感じたシーンがあったことを覚えていますか?
三角にはそういった能力があるのか…でもちょっと信じがたい。と思いました
重森としても娘のことを言い当てられたくらいでは性格上信じないのではないか?と。
でも実際に重森自身も同じことを体感したら…?
三角、咲江、重森が雪で遊んでいるシーン、これを重森がリアルに体験したシーンだと考えたら
手と手のぬくもりで相手のことがわかる、ということを信じることができたのではないでしょうか。
そして三角が送ったハガキに書いてあったこと
雪でケーキを作った”娘は手袋をもっていなかったので貸してあげた”と書いていますが
おそらくこれは咲江の手袋を借りたのだと思います。そしてその時に
咲江の「殺意」が手袋を通じて伝わった
咲江が告白をしに来たシーンの冒頭で三角と一緒に映った写真を重森に見せています
告白している時、重森は信じておらず、かなり冷たい対応をしています…が
手袋のことを思い出し、告白が真実だということに気づき走って呼び止めた。のだと思いました
・雪で遊ぶ、重森、咲江、三角の三人のシーン
上で説明したように、このシーンは
重森が三角の手のぬくもりから感じ取り体験したシーンだったのではないでしょうか。
またこのシーンの前の”重森の父”(元裁判長)が出てくるシーンで
「殺すやつと殺さないやつの間には深い溝がある」という台詞がありました
その溝が四つ目の足跡で表現されていたのではないかと思いました
このシーンよく見て欲しいのですが、ほかのサイトでも書いてあるように
三角と咲江は十字に、重森は普通に大の字になって寝転んでいます…
もっとよ~く見てほしいのですが、よ~く見ると溝から三角の右手がちょっと出ているんです
ここでもう一つ謎だった「接見の時にかさぶたを剥がす三角」の謎が解けました
そんなにかさぶたアピールしなくてもよくない?と思っていました
三角が起こした今回の事件も30年前の事件も、”放火”しているんです
これは罪を浄化するという意味なのではないかと考えました
そうなると火傷をした三角の右手の罪は浄化されている
だから溝から少し出ていたのではないかなと考えました。
・殺人事件の三角の回想のようなシーンで頬についた血を拭っていたが拭い方が統一されていなかった
気になったのは「血を拭う仕草」です
返り血を浴びるシーンは三角の後に重なるようにして咲江が移り、返り血を浴びます
このシーンは咲江の殺意の表現かと思いました。が
頬についた血を拭うシーンの動きが統一されておらず、ほかにも意味があるのではと考えました
返り血を浴びるシーンとは逆で、血を拭うシーンは咲江→三角の順番になっていました
咲江が下から上に拭った後、それは消すかのように三角が上から下へ拭っています
咲江の罪をなかったことにしているのでは?(と友達の武藤志織ちゃんから考察が届きました)
罪をなかったことにしているというのも納得いくのですが
後に出てくるシーンでより腑に落ちました
・裁判が終わり法廷から出来た重森の仕草
ここで重森は「咲江」が血を拭った時と同じ仕草をします
裁判が終わってから三角と重森が握手をします
この時にはじめて「三角と重森の手が”直接”触れる」んです
ということは”手のぬくもり”よりも濃い情報が伝わっても良いのでは?
法廷から出てきて重森が見ているのはおそらく「真っ赤に燃える夕日」です
画面も赤くなっています…
そして咲江と同じ血を拭う仕草。
重森の中に、事件当日、三角に入っていた咲江の殺意が伝わった。
のではないでしょうか。
その為に血を拭う仕草は別のものにしてあったと考えました!
つまり最終的に重森も器になった…?
長々と書きましたが、以上が疑問に思った点と
それを自分に納得させるために考えた考察です!
あとは三角と重森をすごく似ている存在として表現していたのではないかと思った部分をまとめます
・二人ともかなりの甘党
重森も三角もピーナツクリームを塗りたくってパンを食べていました
重森に関してはコーヒーに砂糖を2本も入れていました
・裁判官に興味があった
重森は小さい頃裁判官になりたかった
三角は人の命が自由にできる存在として裁判官に興味があった
・ペットを飼っていて、死んだら土に埋めるという考え
重森は娘とファミレスで話しているシーンでニモについて話している時「ちゃんと土に埋めたか?」と聞いています
三角はカナリヤを土に埋めていました
・娘とうまくいっていない、咲江に対して娘を投影している
・「あんなやつ殺されて当然」「人間の意志とは関係なく命は選別されている」という台詞
・罪をなかったことにした
三角は咲江を、重森は娘を、罪の程度は違うかもしれないですが二人とも自由にしていた
娘が万引きをするシーンは三角との共通点のためだったのでしょうか
・陽の光で起きた
ここも似せているのかなと思いました
他にも裁判が終わったあと接見で
三角と重森が話しているシーン、二人が重なって映っていたり…して
これはどちらがどちらに入っているかわからなく
どらも器である表現だったのではないかと思っています
また最後は重森が十字路に立っているシーンで終わります…
もしかしたら三角が重森を自由にしたのかもしれない?などと思いながら
この辺りで三度目の殺人の考察を締めたいと思います
この考察を書くにあたって重森を何度「森重」と書いたことか
あと大変失礼ながら「福山雅治さん」って言いたいのに
友達に電話した時「森山直太朗さん」しか出てこなくて非常に困りました…なぜ…
長くなっちゃったし、ほぼ自己満足となってしまいましたが
一人でも読んでくれて「なるほど、そう考えたのかー」となってくれれば嬉しいです
最後まで読んでくださりありがとうございました
ここまで何度も見た映画は初めてですべてのシーン、台詞、細かな演技が重要で
すごく楽しかったです。