こんにちはビックリマーク

 

 

先日、生まれて4か月の赤ちゃんを抱っこさせていただく機会がありましたラブラブ

 

もう!超超カワイイっハート

 

 

 

我が子がこんな小さな赤ちゃんだった頃を思い出しました~ドキドキ

 

母年齢0歳だった私ニコニコ

 

一生懸命だったな~合格

 

できることは何でもやりたいと思ったな~チョキ

 

わたし、がんばってたなー。

でも、がんばることが全然イヤだったりしんどかったり

ということははなかったんです。

なんか「私がんばってる」感に酔ってたのかも。

 

うん、酔ってたな。たしかに。

 

今の私からあの時の私に

「そんなのなくてもいいんだよ~」って言ってあげたい爆  笑

 

(でもあの時の私なら、せっかく言われても

「は?何言ってんの?」っていうだろうなあせる

 

 

 

今からふりかえると、

 

情報ばっかり集めて

知ってることに満足して

やってることは中途半端ってのもあったかも?

 

私が使っていた教材は

「頭も心も体もそだてましょう」と

知能だけを育てるものではなかったところが気に入ったのですが、

やることが多すぎて「ねばならない」状態においこまれたかな。。。

 

 

教材の育児書にある方法に沿うことが軸になって

肝心の子供の心は見ているつもりで

実際には見ていなかったのかもしれない。

 

 

自分の中の理想の母親像、子供像に照らすことばかりして

現実の親子関係を作れていなかったのかもしれない。

 

ま、それらはみんな「かもしれない」にすぎないのだけど。

 

 

だからかどうか、

金太郎はギャングエイジも反抗期もキツかったー笑い泣き

とりあえず、それは現実。

 

でも、それはそれで必要だったのだろうと思う。

 

そこを乗り越えることでお互いに成長するから。

 

必要があれば起こるし、

無ければ起こらないもんね。

 

 

 

金太郎が小学校の時に彼がやらかしたある事件があった。

 

金太郎から聞く話

ママ友から聞く話

 

なにをどう信じていいのかわからない。

とにかくめちゃめちゃ怒ったけど

ほんとにこれでいいのか?とスッキリしなかった。

 

そこで

金太郎に事の顛末を細かくノートに書かせた。

 

左側に現実に起こったことを時系列で

そして

右側にそのときの自分の気持ちや感じたことを

 

かなり長い時間がかかった。

 

でも、できあがったそれを読むと

 

どういう経緯でそれが起こったか?

なにが現実でなにが誤解か?

叱るべきことと叱らなくていいことは何か?

が明確になった。

 

実はこれを明確にしておくことは

子供側にとっても、とても大切。

 

なぜなら、叱られるべきところを叱られるので

納得感があり、しっかり反省して完了させられる。

親子間の不信感を産まない。

 

 

おまけにこのノートで金太郎のそのときの気持ちもわかったので

変な感じだけど、この事件を通して

心の距離が近づいた気がした。

 

 

そして、謝罪すべきお相手にしっかり謝罪をして

スッキリと終わることができた。

 

あのノートのおかげニヤリ

 

 

 

 

そうやって親子で成長してきてるんだな。

今もまだまだ成長中チョキ

 

 

 

それからは、なにかあると私もノートに書いてみる照れ

すると、現実と妄想が明確になって

判断を誤ったり、見るべき視点がずれたりすることがない。

見るべきところは現実のみ。

そこに真摯に向き合うのが大切なんだなぁと思った。

 

 

 

 

今日も笑顔の親子が増えますように音譜

 

お読みいただきありがとうございましたキラキラ