ものの見方や考え方というのは、その方自身の本質を表わしています。
つまりその方のスピリチュアル=「魂」の形であり、

香り、温もり、色や柔軟性でもあると思います。

仏教のお話の中に、とても分かり易くその事を伝えているものがありました。

 

”リンゴ”という物体を知らない人々が暮らすその土地に、

ある日、空から”リンゴ”が降って来ました。

 

そこに居合わせた三人の村人達が、恐るおそる”リンゴ”に近付き、

初めて見る物体を暫し眺め、リンゴをその場に放置して帰ります。

 

その衝撃的な物体について、それぞれが話し出しました。
ある者は、赤いモノだったと言い、
又、ある者は、丸いモノだったと言い、

そしてある者は良い匂いがしたと言いました。
三人は、それぞれが感じた事をそれぞれに主張し、争いが起きました。

そこに村の長老がやって来て、
「それは、赤くて丸い物で、良い匂いがしたのだな」と、

一言で争いを止めたというお話です。

こんな簡単なお話の中には、

私達のスピリチュアル=「魂」が作り出しているものの見方や、

考え方がそのまま詰まっています。

 

三人は誰一人として、間違った事を言ってはいません。

 

しかし自分が正しいという考え方が、

相手の正しさを見えなくしてしまっているのです。

 

これが人間同士の争いの原点なのだと思います。

自分とは違う人達の考え方を、

”どうしてそう考えるのだろう”と、

相手の思考を作り出すスピリチュアル=「魂」を感じようとするところに、

心の豊かさが生まれ、

魂の成長に繋がるのだと思います。

自分とは無縁な人間の思考に腹が立つことがあっても、

”そういう人間”なのだと、

他人のスピリチュアル=「魂」を感じると、

そこには諦めに近い感情が緩やかに流れ、怒りが薄れていくものです。

 

しかしながら、自分にとって密接な関係性の人間に対しては、

簡単に諦めることができなく、
感情が言葉や行動につい出てしまうものです。

 

それも愛情のひとつの形に違いありません。

 

言い換えれば、愛情を感じない人に、腹を立てなくても良いのです。

今現在、誰かと争っている方がいるとしたら、

ゆっくりと深呼吸をして考えてみて下さい。

 

あなたの主張の正しさと、相手の主張の正しさは、

”リンゴは赤い”と同じことではないではないでしょうか。

 

そもそもあなたは争う程に、

相手に愛情を感じていらっしゃるのでしょうか?

 

憎しみや怒りは愛ではありませんが、

”可愛さ余って憎さ百倍”の如く、

愛が変化した感情です。

 

許せないのは何故なのか…、

その答えはきっと自分の内にあるはずなのです。

 

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