「ジンヒョン、何を考え込んでいるの?」

 テヒョンが口に頬張りながら聞いてきて、僕は我に帰った。

「テヒョナ、そういう風にもぐもぐと食べながらしゃべっちゃだめだよ。・・・僕はテヒョンとナムジュンの二人が今後どうやって幸せになるのかを考えていたんだ。」

 テヒョンが肩をすくめる素振りをする。

「前から思ってたけどさあ、ジンヒョンって変わってるよね。」

「変わってる?そうかな?」

「変わってるよ!こんなでかい家に住んでいる人は、俺達みたいな貧乏人と仲良くなったりしないよ。何の得にもならないもの。それなのに、ジンヒョンは仲良くするだけじゃ満足しなくて、俺達の幸せまで考えてくれちゃってる。絶対変だよ。」

 ナムジュンは隣で苦笑しながらも頷いている。

「前、俺もヒョンに言いましたね、ヒョンは不思議な人だって。要は、テヒョンも同じ事を感じているってことです。」

「でもさ。」

 僕は反論した。

「得になる、ならないって良くわからないな。好意を持ったから友達になりたいって、ただそれだけなんだけど。」

「そもそも、好意を持つことが不思議なんだよ。お金がある人達は、俺達の事をゴミを見るような目で見るよ。汚くて馬鹿で危ないって思ってるんだ。」

「そんな目で見る人たちは、くだらない眼鏡をかけて人や世の中を見ているからだよ。」

「くだらない眼鏡って?」

「『お金が一番』『社会的な肩書が大事』そんな変な思い込みの眼鏡の事だよ。くだらない眼鏡をかけてると、視界が悪くなって真実は見えなくなるんだよ。」

 テヒョンは僕をからかうような表情を消した。

「ジンヒョンは本当にいい人だね。でもさ、そんなジンヒョンでも俺の本当のことは知らない思うよ。」

 僕は、テヒョンが何の事を言っているのか分かったけれど、素知らぬ顔で答えた。

「知らなくていいよ。お前が内心何を思っているのかとか、過去にどんな悪さをしたかなんて。ただ、僕は今のキム・テヒョンが好きなだけだよ。」

「例えば・・・俺が人殺しだったとしても?」

 この冷やりとした質問に、内心少し動揺した。テヒョンが自ら核心に迫ろうとしている。僕は頑張ってさり気ない表情を顔に張り付けた。

「関係ないね。お前がもし人を殺したとしたら、そこには理由があるはずだから。それに、罪は愛することを妨げない。」

「妨げないってどういうこと?」

「罪と愛はそれぞれ違う領域にあるというか・・・例えば、殺人犯の母親は、息子あるいは娘の罪によって我が子を愛さなくなるかといえば、必ずしもそうではないだろう。そう、僕は思うんだけど。」

 テヒョンは返事をしないで、黙ってカルビを口に運んだ。何かしら、彼の心に響くものがあったに違いない。

「俺もその意見に賛成です。テヒョナ、ごちゃごちゃ言わないで、黙って俺達から愛されてればいいんだよ。」

 ナムジュンがわざと冗談ぽく言って、それから会話はもっと軽く楽しいものに流れて行った。

 

 

 

 食事の後は、音楽を聴いたりトランプしたりして、遊んで過ごした。時間はあっという間に過ぎていき、二人共泊まっていくことになった。

 僕のベッドルームの床に、布団を二つ並べると、テヒョンは早速枕をナムジュンにぶつける遊びを始めた。僕はベッドに横になりながら、無邪気に笑うテヒョンを眺めた。こうして見ていると、十代のごく普通の少年だ。進路や恋愛、友達関係などのささやかな、でも本人にとっては深刻な悩みを抱える標準的な少年の笑顔。しかし、テヒョンは彼らと違い、真に恐ろしい苦悩を内に抱えている。

「ヒョン、俺達が服のまま寝ると、シーツが汚れるけど大丈夫?」

 ナムジュンが心配する。

「大丈夫だよ。汚れたら洗えばいい。気にしないで寝て。」

 テヒョンはぴょんと、僕のベッドに飛び乗ってきた。

「ジンヒョンと一緒に寝る。」

「テヒョン、やめろよ。ジンヒョンが狭くなるだろう。」

 ナムジュンは顔をしかめたが、僕はテヒョンの枕をベッドに移してやった。

「行儀よく寝ててくれよ。」

 テヒョンは嬉しそうに、僕の横で身体を丸くして目をつむった。

「お休み、二人とも。良い夢を見てね。」

「おやすみなさい。ヒョンも良い夢を。」

 

 

 良い夢を・・・。

 

 僕は目を閉じるとすぐに眠りに落ちて、そして気が付いたら天界に来ていた。

 館は、心なしか、前回来た時よりも更にくすんで暗く見える。皆はどこにいるのだろうか?

 皆を探そうと視線を動かすと、そこにはきょろきょろと辺りを見回すテヒョンがいた。

「テヒョナ・・。」

「ジンヒョン?これって夢?何、このお城みたいな所?」

「え?初めて見たみたいな事を言ってる・・・・って、初めて来たってこと?」

 テヒョンが困った顔をする。

「当たり前じゃん。」

 このテヒョンは、天界のテヒョンでは無い!僕の隣で寝ているはずの、今生きているテヒョンだ。だから、恰好がいつものTシャツにジーンズなのか。

 テヒョンが僕の方にすり寄って来て、手をつないだ。

「何となく怖い。」

 僕も、なぜか少し怖かった。返事の代わりにテヒョンの手をぎゅっと握りしめて、館に入った。

 館の広い玄関ホールでは、ユンギ達、五人が集まっていた。僕から見て、向かって右側にユンギとジョングク、左側にジミンとホソク、ナムジュンが並んでいる。皆無言で、少し俯き気味にしている。

 ホールの奥から、テヒョンが出てきた。天界のテヒョンだ。五人の向こう側で、腕を組んで立っている。ユンギ達が不思議と小さくなった気がする。まるで、テヒョンは彼らを支配する王のようだ。

 隣のテヒョンが小声でつぶやく。

「初めてじゃない、この場所。・・・この夢、前にも見たことある。」

「見たことあるの?」

「うん。・・・・こっちに来いって、あの、俺の悪い奴バージョンみたいな奴に手招きされて、びびってる夢。また同じ夢みるなんて。」

 僕は天界のテヒョンを見つめた。しばらくぶりに見る彼は、様子が変わってしまった。

 天界のテヒョンは、にやりと笑うと、背中に黒い羽根を広げた。隣のテヒョンが羽の伸びる音にびくりとする。

 

 

 

 

「やあ、昔の自分。やっと来たね。」

 天界のテヒョンは、僕達に向かって手を差し伸べた。

 テヒョンが僕の手をぎゅっと握った。握った手が震えている。

「来るな。来ないで。」

「なぜ?お前は俺なのに。」

「違う。そんな姿、俺じゃない。」

 震えて首を振るテヒョンに、僕は静かに言った。

「そうだ。あの姿はお前じゃない。自分を信じて、戦うんだ。」

 天界のテヒョンが冷たい目で僕を見た。

「口を挟まないで欲しいな。これは俺対俺の話なんだから。・・・おい、一歩前に出て来い。」

 テヒョンは、怯えた顔で僕を振り返りながら、言われたとおり一歩前に出た。両脇で、ユンギ達は俯いたまま立っている。彼らは何も言わない。天界のテヒョンに完全に支配されてしまったのだろうか?

「俺達は、一つにならないといけない。」

「どういうこと?」

「言葉通りだ。俺が二人いちゃおかしいだろ。一体化するんだよ。」

「嫌だ。あんたは悪い奴だ。」

 必死に首を振って拒絶するテヒョンを見て、天界のテヒョンがゲラゲラと笑った。

「おいおい、お前は悪い奴じゃないって言うのか?」

 テヒョンの肩がびくんと震える。

「言っただろ、俺はお前だって。だから知ってるんだ。お前がどれだけ重い罪を犯したのか。」

「・・・・・。」

「お前は罪を自覚しているのに、母親のせいだとか、色々言い訳を並べて自分の罪から目をそむけて生きている。中途半端なんだよ。」

「ちが・・・。やめて。」

 泣き出したテヒョンに、天界のテヒョンは冷たく言い放った。

「違うって言えないだろう?自分が悪人だって本当はわかっているもの。お前は。」

 テヒョンの身体が揺れている。僕は目をつぶった。どうか、テヒョンの心が負けませんように。

 天界のテヒョンは、ゆっくりとテヒョンに近づいた。

「中途半端はやめて、悪魔になれ。そして、お前を悪に追いやった世の中に復讐をするんだ。今までお前を馬鹿にしてきた連中を、手のひらで転がして、遊んで、そして破滅させる。どうだ?楽しそうだろう。」

 天界のテヒョンがじっとテヒョンの目を見つめながら、手を差し出した。

 テヒョンはもう、泣いてはいない。虚ろな目でじっと立ちすくんでいる。

 重い静寂が僕達を包んだ。頼む、どうか手を取らないで。

 そう願う、僕の目の前でテヒョンはふらっと手を差し出した。

 天界のテヒョンは高らかに笑うと、テヒョンの手を取り、僕は絶望的な気持ちで目を閉じた。

 目を開けると、そこにはもうユンギ達の姿は無かった。彼らは消えてしまった。一つになったテヒョンが邪悪に微笑んでいるだけだ。邪悪で、美しい微笑みを・・・。

 僕の目から涙がこぼれ落ちた。

 

 

 

 

 その瞬間に、ベッドの上で目が覚めた。目からは涙がぽろぽろと流れ落ちている。そんな僕を、ベッドの上で起き上がったテヒョンが冷たい目で見下ろしていた。

「テヒョン・・・」

「ジンヒョン、今、俺すっげえ楽しい気分です。大声で笑いだしたいくらい。」

「テヒョン。やめてくれ。引き返せ。」

 テヒョンは馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

「自分を卑下して、今まであほくさい人生だった。こんなの終わりにして、さっさとあの世に行きますよ。」

 そう言うと、テヒョンは立ち上がった。

「だめだ!お前の人生はあほくさくも無いし、意味の無いものではない。大事な愛すべき人生なんだ。なぜそれがわからない?」

 僕がそう叫ぶと、床で寝ていたナムジュンが目をこすってあくびをしながら起き上がった。

「どうした?喧嘩してるの?」

 テヒョンは、ナムジュンをちらっと見て短く言った。

「ナムジュニヒョン、俺は行くから。さよなら。」

「は?行くって・・・どこに?もう朝なのか?」

ナムジュンは訝し気に窓を見た。窓の外は真っ暗で、どう見ても真夜中だった。

「お前が父親を殺したのは、お前が償うべき罪だ。でも、それはもう十分に償ってきた。なのに、なぜ、自分を否定する?」

 立ち上がって、テヒョンに叫ぶ僕を、ナムジュンが驚いた顔で見つめる。

「なぜ、それを・・・。」

 テヒョンは無視して、部屋から出て行った。驚いた顔のまま、ナムジュンが追いかける。

 僕は、ベッドに再び腰を降ろして、静かに泣いた。

 僕は悪魔に負けてしまった。テヒョンの魂を救えなかった。自分が地獄に落ちる、という事はその時頭には浮かばなかった。何よりもテヒョンを救えなかったという、その一事に僕は打ちのめされていたのだ。

 

 しばらく経って、ナムジュンが部屋に戻って来た。

 立ったまま腰に手をあてて、厳しい目で、泣きながらベッドに座っている僕を見ている。

「テヒョンはびっくりするくらい、早く走って行ってしまいました。人間離れしたスピードで。」

 僕は虚ろな目でナムジュンを見た。人間離れした?そうだよな、今、悪魔に取りつかれているのだから。

 ナムジュンは、厳しい目のまま、僕をじっくりと見ている。まるでスキャンしているみたいだ。

「キム・ソクジン。」

 ナムジュンは、親し気な「ジンヒョン」、ではなく、フルネームで僕を呼んだ。

「あなたは一体、何者なんだ?」

 僕は涙を手で拭った。

「何者って?」

「なぜ、テヒョンの過去をほじくろうとする?誰だって触れられたくない傷がある。なぜ、あえてその傷をつかんで引っ掻き回すんだ。根掘り葉掘り聞いたんだろう?それでテヒョンが怒って出て行ったんだな?」

 僕は首を振った。

「根掘り葉掘り聞いてなんかいないよ。」

「じゃあなんだ、テヒョンと同じ町に住んでいたから知っていたとでも言うのか?金持ちのあんたが。」

 僕は再び首を振った。

「根ほり葉ほり聞いてもいないし、同じ町に住んでもいない。でも僕は初めから知っていたんだよ。」

「なぜ?」

 鋭く問いただすナムジュンの目をまっすぐ見て、僕は答えた。

「なぜなら、僕は天使だったからだ。」

 

 

 


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