カフェは外観からしてお洒落な作りだった。

 ナムジュンと2人でドアを開けたが、店内はガラガラで客はいないようだった。

 足を踏み入れた瞬間、すえたような嫌な匂いが鼻についた。それは一瞬で終わり、コーヒーの良い香りに取って変わった。匂いは消えたが、嫌な感覚が身体の奥の方で疼いている。

 その嫌な感覚が何なのかはすぐにわかった。

 

 

 

 

 悠々と椅子に座って、含み笑いでこちらを見ている冷たい目。なぜ、べセルがここにいる?僕は驚きを隠せず、一瞬まじまじと見つめてしまった。

 テヒョンがホットコーヒーを二人分運んできた。そのまま自分も同じテーブルに座る。

「あまり客がいないみたいだけど、だいじょうぶか?」

 ナムジュンが心配そうに聞いた。せっかく良いバイト先を見つけたのに、又職を失うのではないかと危惧したからだ。

「店長さんがちょっと浮世離れしていて。金稼ぎはあまり好きじゃないみたい。」

「へえ。趣味で店やっているような感じ?」

「そうみたい。立派な人だよ。」

 立派な人!?僕は椅子から落ちそうになった。でも、動揺していることを二人に勘づかれてはならない。最大限、さりげない様子を装って聞いた。

「立派って、具体的にどんな?」

「何かね、曲がった事が嫌いで正しく生きているような、そんな感じ。」

「あの人が?」

 つい言ってしまった。

 ナムジュンが不思議そうに僕を見ている。

「うん。すごく立派だよ。」

 テヒョンはそう言ってから、小声で呟くように付け加えた。

「まるで、俺なんて生きてちゃいけない。そう思えてくるぐらいに。」

 僕はテーブルの下で両手をぎゅっと握りしめた。じっとりとした手汗が気持ち悪い。

「テヒョナ。」

 僕はテヒョンの目をしっかりと見ながら話した。

「もしそう思えるなら、その人は本当に立派な人では無い。立派な人は周囲の人を安心させて、良い影響を与える人だよ。もし、責められるような気になるなら、その人は真に立派な人ではない。だから気にする必要はないんだ。」

 テヒョンは頷いたが、あまり納得はしていない様子だった。

「まあ、あまり気にするなってだけだよ。それよりさ。」

「何?」

「バイト終わったら、僕の家でお祝いしない?美味しいものを食べさせてあげるよ。ナムジュンも一緒に。どう?」

 美味しいものを食べるという計画は、二人とも当然に大賛成だった。

 

 コーヒーを飲み終わって、会計をするために席を立った。

 レジカウンターにはべセルがいた。近づくと、ごく普通の調子で会計の値段を僕に伝えた。口端が嫌な感じで歪んでいる。こんな奴を、その言葉だけで立派と思うなんて、テヒョンはなんて純粋な男なんだろう。

 彼は、あれだけ世間に虐げられて生きてきたのに、まだ本質の部分で人を疑うことを知らない。自分と同じ物差しで人を測ってはいけないのに。

 僕は怒鳴りつけたい気持ちを押さえつけて、無言で会計を済ませると、店の外に出た。 テヒョンにこのバイトを辞めさせなければならない。どう話せばいいのだろうか。

 振り返ると、入口の透けたガラス越しに、ベセルがテヒョンに近づき、何かを囁くのが見えた。テヒョンは後ろを向いているので、表情はわからない。立ち去り難く、動かない僕に、ナムジュンが声をかけた。

「ジンヒョン?」

「あ?ああ・・ごめん。行くよ。」

 

 

 

「・・・何をしたのか知っている。」

「え?」

 テヒョンはトレーを持ったまま、驚いて立ちつくした。

 ベセルの視線に捉えられ、身体が自分の意思で動かせない。まるで催眠術にかかったようだった。

 ベセルはテヒョンの耳元に口を近づけると、長い事、テヒョンに囁き続けた。冷たい世間に復讐する方法を・・・。

 

 

 

 

 

 

「うわっ、すごい。こんなに沢山?」

 テーブルに並んだピザや中華料理、サラダを見てテヒョンもナムジュンも大喜びだった。

「一週間分くらい食べて、胃に保存しとかなきゃ。」

「リスみたいな奴だな。お前は。」

「リス?どうして?」

 僕とテヒョンは同時に質問した。

「リスは頬袋にエサを詰め込むことが出来るんです。冬眠に備えて、巣穴により多くのエサを運ぶためだったと思います。」

 ナムジュンが淡々と答える。ここで得意気にならない所がナムジュンの偉いところだ。

「ジンヒョンも知らないんだ?俺と一緒だ。」

テヒョンが嬉しそうに笑う。

「ナムジュンには敵わないよ。さあ、食べよう!」

 しばらくは、とりとめのない話題が食卓を彷徨った。ジョングクが腕立て伏せをやりすぎて腕の筋肉が太もも位に大きくなってしまったとか、ホソクがバイトの合間にユンギの曲に合わせてストリートダンスを披露しているとか、そんなうわさ話だ。 

「ホソク、あいつ今までの病弱な姿は何だったんだろうな?今、全然元気だよ。めちゃくちゃパワフルに踊っちゃって。」

「そんなにすごいの?」

 テヒョンが得意げな顔で頷く。

「すごい、なんてもんじゃないですよ。ユンギヒョンの曲もすごいけど、ホソギヒョンのダンスもかっこよくって、それでファンが沢山ついてるんですよ。そろそろ芸能関係の人とかが声かけてきそう。」

 それは本当に嬉しい話だ。苦労して彼らを救った甲斐がある。それに、自分のことのように得意そうなテヒョンの優しい気持ちも嬉しい。

 僕はさり気なく、テヒョン自身の事にに話題を振った。

「テヒョンはさ、将来何をしたいの?」

 テヒョンの顔がさっと曇った。

「・・・別に。何の目標も無いんだけど。適当にバイトして、適当な女の子と付き合えればそれでいいかな。」

「カッコいいから俳優とか目指すのは?いけそうだけど。」

 ナムジュンがサンチュで包んだサムギョプサルを口に押し込みながらうんうん、と頷いて同意した。

「モデルとかでもいいかも。」

 僕達の言葉に、テヒョンの顔が一瞬嬉しそうに輝いたが、すぐに又曇った。

「だめだよ。俺の過去、ろくでもないから。」

「過去なんて関係無いけどね。」

 そう言う僕に、テヒョンが鋭い目を向けてきた。

「ヒョンは苦労してないから、そう言えるんですよ。」

「でも・・・。」

 必死に言葉をつなげようとする僕を、テヒョンはきっぱりと拒絶した。

「俺の将来の話なんてやめましょう。今は楽しく過ごしたい。美味しいものを食べてるんだし。」

「ごめんよ。」

 しょんぼりと謝る僕に、テヒョンは申し訳なさそうに付け加えた。

「ヒョンが悪い訳じゃないんです。すいません。」

「テヒョンの気持ちが一番大事だから、嫌な事は言わないよ。僕はテヒョンが本当に好きなんだよ。だから将来も幸せになって欲しい。ただ、それだけなんだ。」

 そう言う僕に、テヒョンは無言だった。

「俺も好きだよ。お前のこと。」

 ナムジュンがそっと、テヒョンにささやく。

 やっぱりナムジュンも誘って良かった。ナムジュンはテヒョンが初めて信頼した人間だから、彼の言葉はテヒョンに強い影響力を持つ。

 ただし、逆に言えばナムジュンに見放されたと感じたら、全てが終わってしまうけれど。前回の時がそうだったように・・・。

 

 

 

 時を遡る前の、この時期の二人は悲惨な状態だった。

 ほんの数年だったが、助け合ってやってきた仲間四人が相次いでこの世を去ってしまったからだ。特にテヒョンの受けた傷は大きかった。

 社会の底辺で虫けらのように生きている自分達は、虫けらのように死ぬしかないのか?それに・・・。

「ユンギヒョンもジミンも、死なせた責任を取って自ら・・・。」

 潔く責任を取った二人に比べ、自分は卑怯だ。そう、テヒョンは自分を再び責め始めた。

ナムジュンは毎日、テヒョンを慰めたり励ましたりすることに長い時間を費やした。自分自身だって辛いのに。

 四人の友達を失った事は、彼にとっても当然大きな痛手だった。そのせいで夜もろくに眠れなかった。うつらうつら眠り始めると、四人が夢に出てきてはっとして目が覚める。そして束の間夢で会えた四人が懐かしくて悲しくて、嗚咽して狭い寝床の中でのたうち回る。そんな、気が狂いそうな辛い毎日を過ごしていたのだ。

 その夜も、そんな風に胸をかきむしるように過ごしていた。この苦しみに対しては、彼の賢さも大して役には立たなかった。時が悲しみを軽くする、そう何かの本に書いてあったけれど、本当にこの悲しみが癒える日が来るとは思えなかった。

 眠れなくて、膝を抱えて物置小屋で座り込んでいた彼の脇で、スマホが振動しながら着信を知らせた。テヒョンからだ。

 ナムジュンは両手で顔を覆った。

「頼む。今は勘弁してくれ。」

 スマホはしばらくして止み、その三十秒後に再び振動を始めた。

 ナムジュンは、少しの間スマホを睨むようにして見つめた後、覚悟を決めてスマホに手を伸ばした。

「・・・もしもし?あ?何だよ・・・切れてるじゃねえか。」

 出たのが間に合わなかったらしく、通話は出来なかった。

 ナムジュンはスマホをぽいと放り投げると、どさりと横になった。全てが面倒くさくて、全てが嫌だった。

「テヒョン、明日電話してやるから。待ってろ。」

 そうつぶやいて、目をつぶった。

 しかし、テヒョンは待たなかった。バイクで海まで行き、夜が明けるとともに海に飛び込んだ。世界の全てから見放された気持ちを抱えながら・・・。

 

 

 

 

 それを知ったナムジュンは、一人取り残されて生きていくのはごめんだという結論に達した。

図書館に通って得た知識が、こんな事に生かされることになった。彼は市販の薬を組み合わせて、楽に息を引き取る方法を知っていたのだ。そうやって、彼は天界に来る最後のメンバーとなったのだった・・。

 

 

 

 

 

 


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