この館は今まで僕が管理してきた館のどれとも違う。
ジョングクが言ったように、完全に聖なるものと、完全に邪なものが混在している。
神を讃える天使像の横には邪悪にほくそ笑む悪魔の像が配置され、天上の愛を謳う絵画の横には人間の邪悪な欲望をしるした絵が掛けられている
「極端に違う象徴が散りばめられていますね。この館には。」
上から声が聞こえて、見上げるとナムジュンが僕とジョングクを見下ろしていた。手には鮮やかな色の液体で満たされた杯を持っている。
「結局、僕たちの判定はどうなんです?ここは地獄なんでしょうか?それとも天国?」
僕は首を振った。
「どちらでも無い。」
ナムジュンは笑った。
「僕達は生前、天使なのに悪魔のように振舞ったのかな?それとも逆で悪魔なのに天使のふりをしていたのか。」
そうシニカルに言うと杯をあおった。
「君達はどちらでも無かったよ。ただ一生懸命に生きていた少年だった。それだけだ。」
僕は、「話は終わり」といった雰囲気でそうぴしゃりと言うと立ち上がった。
「行こう。食事の時間だ。」
「まだ慣れないな、なぜ肉体を持たないはずなのに、食事をしないといけないのか。」
そういうナムジュンは口調は皮肉だが、表情は穏やかだ。
ジョングクが遠慮深そうに口をはさんだ。
「でも、楽しいよ。前はカップラーメンくらいしか食べられなかった。」
「そうだな。」
「そうです。」
僕はニ人とともに館の庭に出た。
中央に白布をかけた細長いテーブルが据えられている。
ユンギ、ホソク、ジミン、テヒョンはもうすでに来て、着席している。
僕はテーブルの上席に着いて、あたりを見回した。
赤黒い空のせいで、テーブルの白布がピンク色に染まっている。
庭に植えられた木が何本か折れていて、それが不吉なムードを作っていた。
六人は黙ってテーブルを囲んでいる。
僕は一人ずつ、ゆっくりと見渡した。
彼らの最後の光景を思い出しながら。
雨の中を疾走する黒い車。
モーテルを焼き尽くす炎。
大橋を照り付ける強い日差し。
浴槽からゆっくりと溢れ出す水の流れ。
カップに溶け出す灰色の粉末。
そして、海に飛び込んだ少年が残す波間の泡。
僕は眉をひそめた。
又だ。僕の中の何かが痛みを感じている。感情がないはずの僕の中で。
「ジンヒョン、あれは何?」
ジミンが囁くような声で僕に尋ねた。
振り返ると、黒い何かが木の陰でうごめいている。
その黒い何かは、僕の視線に感づいたのか素早く移動して姿を消した。
「よく見かけるよね。気持ち悪いよ。」
ホソクが笑いながら言う。
「よく見る?」
「はい・・・。ジンヒョン、気にするってことは普段はああいう生き物、ここにはいないんですか?」
僕は考えごとをしながら頷いた。
ジョングクが心配そうに僕を見ている。
テヒョンは無邪気な笑顔で生き物の消えた方向を見ていた。
「そんなに気になるなら僕が探してきてあげるよ。」
僕は立ち上がってテヒョンの目を見た。
真っ白な麻布のように汚れないきれいな目だ。この目は生まれ変わってもこのままなのだろうか。
「大丈夫だよ。」
僕は立ち上がったまま、椅子をテーブルの中にそっと押し戻した。
「ちょっと出かけて来る。」
「どこに行くの?」
「図書館だよ。」
ナムジュンが一瞬羨ましそうな顔をしたのが見えた。
でも、連れて行くわけには行かない。
彼らは転生するまでこの館を出ることが出来ない。それがルールだ。
それに、僕がこれから行く図書館は、ナムジュンが想像するようなものではない。
この天上の世界に境界線は無い。世界はどこまでも続き、終わりが無い。しかし、行きたい場所には瞬時に行ける。
何処にいても、どの場所に行くのも隣の家を訪問するような感覚だ。
人間の世界がアナログだとしたら、この天上界はデジタルだと、説明すると分かりやすいかもしれない。
ここに行くのだと決めれば、もう自分はそこにたどり着いている。
自分の体にまとわりつく、重くて白い霧を見て、図書館に着いたのだとわかった。
僕は霧で所々がぼやけたようになっている、灰色の巨大な建物を見上げた。
無機質で、温かみのまるで無い不愛想な造りになっている。
何人かの天使がひそやかに通り過ぎて行った。
何か調べ物をしに来たのか。あるいはここで働いている天使達かもしれない。
図書館、と呼んでいるが、人間の世界の図書館とは大きく違う。
ここには「アカシックレコード」と呼ばれるこの世のすべての情報が収められているのだ。
神と天使についての情報はもちろん、人間界の太古から未来へかけて歴史のすべてもここに収められている。
そしてその歴史には、人間一人一人の誕生から死までの歴史も含まれる。
僕は滑らかな灰色の石造りの回廊をゆっくりと歩くと、一つの建物に入った。
どこまででも続く螺旋階段が目の前に現れた。
僕は螺旋階段を見上げて、待った。
身体がすっと持ち上がり、階段に沿って上昇した。
そっと身体を降ろされるようにして着地すると、真正面、右、左と三つの扉が見えた。
どこの扉を入るのか、僕にはわかっている。右だ。