人間は、知恵と努力によって、自然界の色々なものごとをある程度コントロールできる。
医療、ダムの建設、天気予報等々。
しかし絶対にできない事もある。時間を遡ること、そして死を逃れること。この二つについては、神の領域であり、人間ごときが手を出してはいけない事だ。
死については、完全に逃れることはできなくても、遅らせることはできるのだと人間達は胸を張って言うだろうが、それは違う。人間達が死ぬ“時”は、神が定めたものであり、医療で延命したと思っているそれは、すでに神にとっては織り込み済みの予定なのだ。
僕は死の天使として千年ものあいだ、人間達の死の瞬間を共にし、彼らを天国に導いてきた。
死の天使と言っても、僕は死に導くわけではない。さっきも言ったが、それは人間の魂にあらかじめ刻み込まれた予定であって、僕がどうこう出来るものではないのだ。
僕の役目は見守ること、そして魂がさ迷わないよう、安心させて天国に導くこと。それだけだ。
天国に導いたあとは、僕が管理する館に滞在して、転生するまでの間安らかに過ごしてもらう。自分の過去生を反省し、来世どのような人生を送るのか、そして何を目的に生きるのか決定する。その時間を持たせるのだ。
僕は、遠い遠い昔は人間だった。
人間達が石器時代と呼ぶ時代から魂の旅を始め、人間として生きた最後の時代は10世紀のヨーロッパだった。その生が終わり、天界に上がった時に天使になるよう命じられた。
以後、何百回も人間達の死を見守ってきた。
見守り方は二つある。
一つは人間達には見えないよう、空気に溶け込んで見守ること。
そしてもう一つ、こちらの方が大変なのであまりやらないのだが、人間の間に混ざって、仲間として存在し、見守る事。
見かけは人間と同じなのでばれる事は無いのだが、家も準備しなければならないし、人間としての設定―家族、仕事、そして子供時代の思い出等々―を考えないといけないので何かと面倒だ。しかし、事故や自殺など悲しい死をとげる人間にはこの方が良い。訳がわからない状態で魂も混乱している時は、顔見知りの方が安心するからだ。
六人の死を見守る事になった時、僕は即座にこのやり方で行くこと決めた。
魂がすべて転生して、館が空っぽになった時、ふわりと僕の前に大きな紙が降りてきた。
いつもこうして僕は指示をうける。
そこには誰が、どのようにして死を迎えるのか詳細が書いてあるのだ。
紙を手にした瞬間、若干の違和感を感じたのを、今でもはっきりと覚えていて、その違和感を追求しなかったのが今も激しく悔やまれる。
違和感はすぐにふっと消え去ってしまった。紙に書かれた六人の少年の悲しい事情に注意を奪われたせいだ。
僕は即座に準備に入り、彼らの仲間に加わり、悲しい瞬間を待った。
僕は天使なので人間の感情は持たない。
だから今まで誰の死に立ち会った時も悲しいという気持ちは起こらなかった。
それなのに、何でだろうか?
六人の死は、悲しいのを通り越して痛い感情を僕に覚えさせた。
人間だった時代以来、そんな感情を持ったことは無かった。
そんな辛い気持ちに耐えながら、僕は六人を次々とこの館に伴ってきた。
館は、今は西洋の貴族の屋敷のような内装になっている。
今はと言ったのは、館は滞在者によって変わるからだ。
罪を多く犯した人はひどい館に案内される。
暗く陰鬱な外観に惨めに不潔な室内。そして生前の罪を絶えず写しだす鏡。
罪ある魂に反省を促すためだ。
今六人がいる館は西洋風の豪華な館になっている。
大理石の床にコロニアル調の家具が配置されて、絵画や彫刻が飾られている。
六人は、生前は貧しくて、そのために世間から踏みにじられていたが誠実に生きていた。
豪華な室内はその誠実さの報酬だろう。
服装も、西洋の貴族のような服を身に付けている。人間界にいたときは、ボロボロのジーンズとTシャツを着ていたのに。
六人は今、とても楽しそうに過ごしている。生前は身を置くことが出来なかった、完全に安らかな平和を味わいながら。
彼らは常に追われていた。
それは罪悪感だったり嫉妬だったり、それぞれ少しずつ違うが、何かしらから逃げようとしていた。全員貧乏だったし、コネもなければ学歴も無かった。
大人達はそんな彼らを軽蔑して、世間からはじき出す事しかしなかった。
彼らはそんな世間に、時には傷ついて泣き、時には反発して暴れた。
そして、本心では大人達から愛されたがっていた。
親も含めて、誰も彼らを愛してくれなかったからだ。
彼ら六人、お互いだけが唯一安心できる避難場所であり、そこで、傷口をなめ合う子犬達のようにして身を寄せ合っていた。
その避難場所が崩れ落ちた時、彼らは死ななければならなかったのだ。
そのことを思うと僕はいつも目を閉じてしまう。
彼らは辛い人生から逃れられたのだからこれで良かったのだ。しかも彼らなりに頑張って生きてきたのだから、来世ではより良い人生が約束されているはずだ。
それなのに何故、彼らを痛ましく思うのか。
しかも天使であり、人間としての感情はほぼ無くしているはずの僕が、何故そう感じるのかがわからない。
「ジンヒョン」
僕を呼ぶ声に、閉じていた目を開けた。
ジョングクだ。
もうここは韓国も何もない、と言うのに、彼らはいまだに僕のことを仲間の「ヒョン」として呼ぶ。
天使だと知ってもあまり驚かなかったし、どうでもいいと思っているみたいだ。とにかく僕は「ちょっと目上」のヒョンであって、それ以外の存在では無いのだろう。
ジョングクは、僕が座っているソファの隣に腰を降ろした。
そして豪華なシャンデリアを見上げて、少し恥ずかしそうに笑った。
「この家ってヒョンの趣味ですか?」
「違うよグク。勝手に決まるんだ。この館は今の君たちにぴったりなようにできているんだよ。」
僕が笑いながら答えると、ジョングクは真面目な顔になった。
「僕たちが生きていた時の状態にかかわっている、ってこと?」
「うーん、まあそうだね。神が決めることだから。」
「みんな貧乏だったから、金持ちの家に憧れていた。そういうことを反映しているのかな。」
ジョングクはつぶやくように言った。
「それもあるかもしれない。」
「でも、この館、豪華だけどひどくごちゃごちゃとしていますよね。なんか怖い感じの像とかもあるし。悪魔みたいな。それでいて、とても清らかな天使の像もあって。すごいごちゃごちゃ。」
ジョングクの言葉に、僕は返事を返さずに黙り込んだ。