「・・・ル」
呆けた頭でハルが彼女を見つめている事に、堪らず聡が普段なら出さぬであろう溜め息交じりの声を出した。
その言葉にハッと我に返ったのか、ハルは羞恥に頬を染め、慌てて彼女を中に通した。
黒いスーツに身を包み、惜しげもなく長い脚を出している。寒くないのだろうか、とも一瞬感じるがそれよりもその肉体的な身体に思わず見とれる。
何より、黒いスーツと対照的な赤い髪。その瞳も燃える様に紅い。
コツ。
一歩踏み出すその姿さえもまるでスローモーションの様に感じながら、ハルは後ろ手で木製のドアを閉めた。
ギィ、と不似合いな音を出しながら不満げに木製のドアが閉まる。
「・・・・どうぞ」
この探偵事務所の主である、悠木 聡はしばらく彼女を見つめ、やや合って古ぼけたソファを手で薦める。
聡ですらその美貌の女性に圧倒されているのだろうか、心なしか声が上擦って聞こえる。
彼女は古ぼけたこの事務所の一室に注意深く視線を走らせると、小さく頷き、そしてソファに座る。
ソファの前に有る・・・・いわゆるどこの粗大ゴミから拾って来たのか解らない年代物のカウチソファに聡は座り込むと、目の前の女性と真正面から向き合った。
カウチソファは大きな身体付きの聡にはまるで小さく見える。聡は自分の膝を肘置きに両手を組むと、マジマジ、と目の前の美女の視線に自身の視線を絡めた。
「コーヒーしか有りませんが」
「珈琲非喜歡(カー フェイ シー ホアン)」
「・・・・明白了(ミン バイ ラ)――――ハル、お客さまにコーヒーを」
「え、ぁ、ハイッ!」
ハルは目の前で一瞬の内に起こった会話すら理解出来ぬまま、聡の言葉に従った。
慌てながら、しかしここに有る一番清潔で有ろうコーヒーカップにお湯を注ぎ、カップを温める。
「可愛的孩子(コー アイ ダ ハイ ズ)」
「你是誰?(ニー シー シェイ?)中国人也没有。(ジョン グオ レン イエ メイ ヨウ)」
「到底是(ダオ ディー シー)」
「・・・・・・是什麼人?(シー シェン マ レン)」
「そんな怖い顔をしなくても危害を加えるつもりは無い」
「・・・・・・・・・」
2人の会話を理解する前に、急に日本語で話しだす彼女にハルはやっとの思いで入れたコーヒーを差し出した。
「ありがとう」
「ぁ、いぇ・・・・」
彼女が微笑むと同時にハルの心拍数はいきなり跳ね上がる様だ。
しかし、そんな自分の心の内を探られたくも無かった。ハルは出来る限り彼女の端正な顔を見ないように聡の横に回り込む。
そんなハルの表情と裏腹に聡の表情は硬いままだ。
ゆっくりと両手を組み換え、そしてしばらく値踏みする様に彼女のコーヒーを飲む姿を見つめている。
「あ、あの・・・・」
「ハル。少し買い物に行ってくれないか」
「買い物、ですか?」
「ああ、こちらの女性に合うようなお菓子をな」
そう言うと古びたスラックスの中から無造作に押し込まれていた札を数枚取り出し、ハルに手渡す。
ハルの非難めいた視線にそれ以上の強い視線を送ると、ハルは渋々頷き、その言葉に従おうとコートに手を掛けた。
「少年。ここを出たらすぐに右に行け。左に曲がると怖い思いをする事になるぞ」
「え、あの・・・」
「ハル。行け」
ハルの訝しむ声も聡の強い口調に阻まれ、その荒さに、ハルは慌てて木製のドアを開け、外に駆け出した。
ギシギシ軋む階段も何だかもの哀しい。
今まで聡にあんな邪険にされた事は無かった。
依頼内容にしても必ず聞かせてもくれていたのに、あの絶世の美女・・・・聡は知っているのだろうか。
ハルは冷たい空気を吸い込むと、彼女に言われた逆の方向に向かって歩き出した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「さて・・・ようやくだな」
「いったい誰なんだ?」
「誰、とは?簡単な事だ。ただの依頼人」
「依頼人・・・・・?」
ギシリ、とカウチソファが軋む。
彼女は相も変わらず悠然とコーヒーに口を付け、そのカップを木製のテーブルに置く。
「そうだ。先日お前は犬を助けただろう」
「犬・・・・?」
聡の中には泣いている少女と、その友人――――白い子犬が浮かび上がる。
だが、アレはたまたま請け負った話で、しかも誰も見て居なかった・・・・ハズで有る。
「それをみていた松翁がだな・・・・お前の手腕が素晴らしいと教えてくれた訳だ」
「松・・・・・?」
そんな老人は近くに居なかった。確かである。
子犬は高校生の悪戯で連れ去られ、海岸近くで鳴いていたのである。その時はハルしか居なかった。
「ま、そんな事はどうでも良い」
「君は、」
「探して欲しい男が居る。私の―――――弟だ」
彼女は赤い髪をサラリと靡かせると、紅い瞳を何度も瞬かせた。
「弟・・・・?」