コロコロ・・・。と杯が転がった音で流迦はハッと顔を上げた。
眼前には燦と咲良が驚いた顔で流迦を見つめている。
「流迦さま、大丈夫ですか?」
真っ先に流迦に駆け寄って来たのは火の王子、烟だった。烟はしゃがみ込んで落ちた杯を拾い上げると、慌てて寄ってきた女官に杯を渡し、新しい杯を流迦に手渡した。
「は、い・・・」
小さく流迦が答えると、烟はほっと吐息を着くと微笑み掛けた。
「どうか、されましたか?」
どうか?どうかって・・・。流迦は思わず唇を噛み締めた。
「流迦、大丈夫か?」
いつの間に傍に来ていてくれたのだろう、燦が流迦に話し掛けた。
「燦さま・・・」
「流迦?どうしたの?」
燦の声に微笑みかけようとすると、燦の傍らに咲良が心配気に佇んでいる。
「あ・・・さ、咲良・・・何にも無いの・・・少し、気分が悪くなって・・・」
思わず、咲良から目を逸らしてしまう。
嫌だ、どうして・・・。
さっきの咲良の言葉に動揺してしまっている。咲良は数少ない流迦の大事な幼なじみだ。本来ならば、大事な咲良が燦と仲良くなってくれるのは嬉しいはずなのに・・・。
燦が咲良と話しているのを見た瞬間から、胸の奥からじんわりと何かが拡がって2人の会話が気になって仕方無かった。燦の少し困った顔、照れた顔、視線を送る度に燦の表情が咲良によって変わっていくのを見るのが辛かった。
嫌だ、何これ・・・。流迦はぎゅっと胸の辺りを掴んだ。
「気分が悪いの?少しお部屋で休む?」
咲良が身を屈ませて流迦を覗き込んだ。その心配気な顔に小さく首を振る。
「流迦、休んだ方が良い。部屋はどこだ?送ってやる」
「燦さま・・・」
燦が流迦の腕を掴むと、掴まれた腕がどんどん熱を帯びていく感覚に囚われてしまう。
「兄上さま!風姫さまの腕を掴むなどと・・・いけません!」
烟が非難めいた口調で燦が掴んでいる腕を軽くはたく。燦は思わず手を離し、流迦から後ずさる。
その烟に流迦のそばを飛んでいた青藍が翼で頭をはたいた。
『・・・阿呆が』
「れ、霊鳥どのっっっ?」
烟は慌てて青藍を仰ぎ見るが、青藍は素知らぬ顔で燦の肩に留まった。
『さ、流迦さまっ、燦さまとお部屋に戻られては如何でしょう?ご気分も優れないのでしょう?』
「いや、青藍。やはりそれは良くないだろう・・・」
烟に咎められたからなのか、燦の反対意見にキッと青藍が燦を睨み付ける。
その小さな瞳が『要らんことを抜かすなっ』と言ってる様で、燦はまたも口をつぐむ。
・・・嫌、なのかしら・・・。流迦は胸の奥から湧き出てくる静かなしかし確かな悲しみの感情を抑えた。
咲良は確かに美しい。優しさで満ち溢れたその風貌は流迦でも見とれる時が有る。
いつも燦に迷惑を掛けている私より、咲良と話している方が燦には楽しいのかもしれない。
だけど・・・そう考えれば考える程、胸の中を悲しさが突き抜けて行く。
「流迦?そんな顔しないで頂戴、いったいどうしたの?」
咲良が小さく流迦に囁いた。
「咲良・・・」
優しい笑顔で流迦に微笑みかける咲良はいつもと変わらない優しさをその瞳に携え、そっと流迦の肩を抱いた。
「あなたがそんな顔するなんて・・・珍しいわ。先程燦さまとお話してる時は何も感じなかったけれど・・・」
咲良が「燦」と名を出すと、流迦はサッと頬を赤らめた。
その様子を見守っていた咲良は瞳を見開かせて行く。
「・・・まぁ・・・」
「咲良・・・?」
流迦がそのまま黙って微笑む咲良を見上げ、首を傾げた。
「そうだったのね・・・なぁんだ」
何がなの?
流迦は咲良のその言葉の意味が解らず、ただ瞳で咲良に問い掛けた。
だが、咲良は何も答えず、ただ瞳を煌めかせると、燦に向かって話し掛けた。
「燦さま、先程のお約束の歌。今お聞かせしますわ。さあ、流迦。あなたも用意なさって」
「わ、私も?」
「そうよ。良く考えたら、せっかく天界の歌姫と舞姫がいるのですもの」
これで楽師がいれば完璧ですものね・・・咲良は満面の笑みを燦と流迦に見せ、青藍に少しだけ舌を出した。
「良いでしょう、青藍さま」
『・・・なかなかやりますね、咲良さま』
「私の親友はなかなか奥手のようだから」
恋には友達の助けも必要よ、咲良は心の中で考えながら、小さく頷いた。