時間が経ちすぎて記憶が曖昧な部分もありますが、参考までに。
上の子は8/24が予定日で、正にその日の夜21時頃からチクチクしたお腹の痛みが出てきました。
確か元旦那とオムライス作っていて、どっちがキレイな卵焼けるか勝負してたような(笑)
まだそんな切羽詰まった痛みでもないし、日曜日の夜に病院行くと料金高いからって朝まで様子見していました。
実際初産だったので夜中にあまり進まず眠ることができていました。
朝起きて入院セットを持ち、元旦那の運転で病院へ。
もともと立ち会いしたいと希望で、予定日から4日間くらいの有給を取ってくれてたんですよね。
この時点ではすごくありがたかった…!!
この時点では!!!←いずれお話します
病院に到着して診察してもらうと、やっぱり陣痛だったのと子宮も僅かに開いていた(多分1〜2cmくらい)ので即入院に。
陣痛室が空いておらず、何故か手術室で待機する事に。
いや、普通分娩の予定なので手術室の雰囲気とかマジで怖い!!
ちょっとビビりながらも入院着に着替えて浣腸される…_(:3」z)_
人生初浣腸_(:3」z)_
ただでさえ陣痛でお腹痛いのに、これって必要?と疑問に思いつつ…。
もともと便通良いのでほとんど何も出ずという結果。
今はこの処置しない産院も増えているとのこと。
実際2人目出産時にはしなかったなぁ。
次は剃毛…って言われたけど、剃るほどないのよ私。゚(゚´Д`゚)゚。
看護師さんにも…
あ〜
って納得されてなんか切ないし複雑…だった覚えがあります_(:3」z)_
しばらくしたら陣痛室が空いたので移動。
この時点でお昼前くらいだったかな。
ここからは元旦那も入室して、ひたすら陣痛が進むのを待っていました。
途中NST(ノンストレステスト、分娩監視装置…陣痛の強さ間隔、赤ちゃんの心音を測る機器)をお腹に付ける時間が何回かあるんですが、付けてる間は動けない!!
座りたくてもダメ、歩き回りたくてもダメ、大人しく横になるしかないという…。
陣痛中に急に赤ちゃんが心停止とか、心拍数に異常出るとかもあり得るから仕方ないんですが。
あの痛みの中じっとしてるのは辛い。゚(゚´Д`゚)゚。
でも夕方くらいまではなんだかんだ合間に話しながらゲームしながら待ってる余裕があったような気がします。
たまたますごい天気の悪い日で、夕方〜夜にかけて雷雨が激しかったのを今でも覚えている…。
19時くらいから間隔が2〜3分と狭まり、痛みも耐えがたくなってきて…ここからあまり記憶ないなぁ。
朧げにソファやベッドに座って、自分の踵でお尻抑えたら少しマシだったような。
ひたすら痛かった。
21時前の内診で子宮口全開→分娩室へ移動指示。
歩いていけるか〜!!!と内心叫ぶ。
まだLDRとかなかった病院だったので(笑)
上の子2人の出産で共通していたのが、ここから。
最後まで胎児が自然に下りてこない
子宮全開になっても破水しない
↓
人工破膜
即胎児が下がってくる
先生大慌てで入室
即分娩(2回くらいのいきみで出てきた)
分娩の進みが早すぎて会陰切開する間もなく
会陰が伸びる暇もなく
ガッツリ裂ける
でした。
懐かしい(*´꒳`*)
能天気さには自信があるママンは、すっかり陣痛の痛みも忘れています(笑)
分娩中に関しては、進みが早すぎたのと2人ともするっと出てきてくれたので股間の感覚すらなかったという…。
会陰が裂けた感覚もなく。
多分陣痛の方がよっぽど痛かったんだろうと想像。
縫合は麻酔したのか不明ですが、少しチクチクしたなぁ…程度。
21時に分娩室移動して、21時20分誕生でした。
元旦那もこの時はビデオ準備する余裕あったみたいで、バッチリ撮影していましたね。
産後ハイの状態で各所に産まれたご報告。
翌日からお見舞いラッシュが続くことに_(:3」z)_
そして元旦那は予想外の行動を取りまくり、制御不能な上に不信感が芽生えていく…。
やったらあかんやろ…なこと。
その①分娩時のビデオを身内に無断で見せる
いやほら、産む側からしたら理性も何もなく叫んで必死な状態で…正直見せたいものではないのですよ_(:3」z)_
それを無断で親とかウチの妹とかにホイホイ見せるとは…。
予想外すぎて止める暇もなかったのです。
そして後日私に苦情が来るわけで…。
その②ゲーム優先でお見舞いに来ない
仕事のある日は仕方ないと思う。
忙しいし夜遅いし。
行く必要ある?
のお返事に
産まれた子どもにも興味なしなのか?
と本気で疑問に思いました。
元旦那のゲーム中毒はこの後離婚問題に発展してゆくことに。
おっと失礼。
ついつい愚痴が飛び出しちゃいました。
入院までのトラブルとしては、一度トイレにて大量に出血して意識朦朧となったくらいだったかな…。
目の前に虹色の網が見えて、キラキラ光ってキレイでした(笑)
初産だったので比較もできず、看護師さんの言う通りみんなあることだと思い込んだまた退院。
そして帰宅後もっと大変な目にあうという_(:3」z)_
不調と不安があれば躊躇わずに伝えましょう!!
まずはお医者さん。
看護師さん。
あとパートナー。
一人で抱え込んで良いことなんてないです。
本気で辛い時は伝えることもできなくなるけど…伝えられる内に言った方が吉ですよ〜。
まぁ、対応してくれるかはさておき_(:3」z)_
さて、二人目の出産時のお話に移りましょう。
当時はいろいろ大変でした。
まずは実母にそこそこ大変な病気が発覚。
治療方針を巡って実母と妹が連日の大喧嘩。
個人的な見解として、治療とはどんな結果になろうとも受ける本人が納得して受けるのが一番だし、その結果がどうなろうと本人が選択した結果なら仕方がない…というのが私の意見。
これは人それぞれのご意見、希望があると思うので押しつけるつもりはありません。
中には治療をしない、という方もみえるでしょうが…それも一つの選択肢だと思っています。
痛みや苦しさを取る対処はお勧めするかもしれませんが…(私自身が痛いの苦手なので)
妹は実母が選んだ治療に効果が期待できず、尚且つ納得もできない!とのことで…毎日のように愚痴の長電話がかかってきていました_(:3」z)_
もちろん、それに連日対応したり、仲裁のため車で片道1時間半の家へ臨月に走り回ったりと…ストレスも疲労もMAX。
そしてそんな中、元旦那が予定日直前に勤めていた会社を辞めました(*^▽^*)
住宅ローンもがっつり組んで支払い中。
二人目出産に向けて車も買い替え。
しかも次の仕事は決まっておらず、投資で生きていくとかなんとか(投資経験0)ふざけた事ぬかしていらっしゃいます。
軽く相談されてさすがに今すぐは…と引き止めましたが、次の日には辞める申告をしてきたそうです。
4/11予定日で、3月末退職。
ひとまず
健康保険切り替えは!?
出産までに発行間に合うの!?
出産一時金の申請も間に合うのか!?
いやそれより出産費用もかかるんだぜ!?
生活どうすんの!?
私が仕事できるようになったら頑張るからせめて産後1年とか半年とか待てないのか!?
とかツッコミどころ多すぎて対処しきれませんでした_(:3」z)_
返す言葉も出ないってこういう事ですね(笑)
え〜、昔生命保険会社でお仕事をしておりまして…社会保険の制度やら公共サービス、医療費について詳しく知っていた経験が役に立ちました。
というか、それが無かったらヤバかったです。
退職翌日に国民健康保険(一家丸ごと)加入したら保険料いくらになるか市役所に聞きに行って、退職した会社に任意継続の可否と保険料の試算を依頼。
当日結果が出たので、安かった退職後任意継続の方に決定。
保険証の発行を依頼。
2週間くらいかかるとのお返事で…産後の退院日までには間に合うかとハラハラ。
そして産院に保険証やら一時金の申請やらの全てが変わる旨を連絡。
最悪手続き間に合わなければ全額立替の実費払いを宣告される(60〜70万円)。
既に泣きそう…だけど泣いてる暇なんざねぇ!!
年金の手続きやら何やらに奔走する毎日。
そして同居の義父母から、なぜこのタイミングで仕事を辞めるのかと…私が詰められる始末_(:3」z)_
知らんがな!
むしろ私が言いたいわ!!
息子さんに聞いてくれ!!!
と、心の中で全力で訴える。
しかし時間は待ってくれません。
そして前述の妹からの愚痴電話も止まってくれません。
この忙しい中、毎日2〜3時間も電話に時間を取られる。
そして4/7、昼間に市役所でいろいろこなし、ようやく手続きに目処がつき…ほっと一息付いた夜中にまた妹からの電話…。
いい加減に寝かせてくれと思ったら、陣痛始まった!!!
始まったからと電話は切り上げられた。
ありがとう、陣痛!!
そして病院へ入院したのが夜中1時頃…だったかな。
NST付けながら一晩うとうと…陣痛の合間に寝ながら過ごす。
朝8時ごろに陣痛おさまっちゃった。
予定日までまだだから前駆陣痛だったのかな〜。
お昼頃まで様子見て、おさまってるようなら帰宅だね〜、と助産師さんと話してたら。
お昼前からいきなり3分間隔の陣痛開始!!!
ちょ、間隔短くない!?と思いながらも痛みは我慢できるギリギリくらい。
思ったより早く産まれそう…と思ってたんですが…
ここからが長かった!!!
え〜、ほぼMAXの痛みが3分間隔で14時間続きました。
途中の記憶は朧げです(笑)
夜になった辺りから痛い痛いと叫び続けていたような…。
痛みはすごいけど子宮口開かないし破水しないし赤ちゃん降りて来ない。
なんせ前夜からほぼ寝ていない状態。
陣痛の合間にうとうと…陣痛来たら飛び起きて叫ぶ→うとうと→叫ぶを繰り返し。
日が変わって夜中の2時前くらいに先生の診察。
朝まで産まれなかったら帝王切開しようか、との神の啓示を受ける。
もうなんでもいいから早く終われ〜〜〜!!!と祈っていた私。
朝までまだ5時間近くあると若干絶望しました(笑)
余談ですが、元旦那も立ち会いしてましたが、疲れ果ててこの時点でグロッキー。
ただ、この会話をお腹の中で聞いていてくれたのか、ここから急激にお産が進むことに。
午前2時に子宮口全開。
当時床にしゃがみ込んで暴れていたため、何とか分娩台によじのぼる(笑)
部屋移動なし。
LDRありがと〜。
あとは一人目と同じ感じで20分もかからず次女誕生。
今回は大変すぎてビデオ撮影もなし。
ある意味良かった。
産後の大量出血はなかったんですが…しばらく休んだ後病室へ移動するのに立ったら…
歩けない
疲れとかそういう問題じゃなくて、足が前に出せないのです。
????ってなりながら、出産直後だし大事を取って車椅子で移動していただく。
そして疲れ切っていた私はあっと言う間に眠りにつきました。
翌朝、目が覚めたら胃痙攣からスタート。
お目覚め直後の激痛でパニック状態に。
しかもなかなか治らない。
何とか胃が痛いことを伝えて、痛み止めの筋肉注射をしていただく。
筋肉注射の痛みなんて微塵も感じなかった(笑)
ひとまず絶飲食。
そして施設内の内科で胃カメラ確定。
人生2回目の胃カメラを出産翌日に経験…あれ、嫌い_(:3」z)_
結果は異常なし。
心当たりは多大なるストレスです( ̄▽ ̄)
妊婦にストレス、ダメ、絶対!!!
相次ぐ痛みに体力が底をつき、普通分娩だったにも関わらず赤ちゃんと会えず寝たきりになる。
そして流動食スタートするも、胃痛酷くてご飯食べれない…。
点滴投入。
そんな状態だったので、出産直後に歩けなかった事をすっかり忘れていたんですね。
翌日、ようやく母子同室(授乳時短時間のみ)。
立ち上がって近づこうとするも、やっぱり足が前に出せない。
そして股間周りに激痛。
妊娠後、左仙腸関節炎になっていたんですが、今回痛むのは前側なので別物です。
後で判明する事なのですが、この時点で恥骨結合離開になっていたとのこと。
恥骨離開=恥骨の間が分娩時に伸びて戻らず離れてしまう症状。足が前に出せず、激痛を伴う。
後ろには歩けるのが特徴。
恥骨離開についてはまた別の記事で詳しく書こうと思います。
ベッドのすぐ横に赤ちゃんを連れてきてもらう事でなんとか授乳はできました。
水分だけは点滴で確保してるので、お乳出た!!
よかった!!
更にその後もトラブルは続く。
トイレに何とか移動して用を足した後、股間に違和感があったので覗いてみたら…
股の間から赤黒い何かが飛び出している!?
慌ててナースコールしたら子宮だったそうで。
押し込んで元に戻す荒療治(笑)
そこそこ痛かったですよ。
余談ですが、この事を元旦那に報告したところ、
飛び出してるところ見たかった。
と、トチ狂ったお返事をいただきました。
当時は怒り狂う体力も気力もなかったので呆れるだけでしたが、今考えると信じられない発言ですね。
大まかなトラブルはこれくらいかなぁ。
たくさんトラブルが重なって、歩けない動けない食べれない色んな激痛MIXな出産直後。
もちろん帰宅なんかできるわけもなく。
長期入院確定に。
結局4月の月末くらいまで入院してて、歩けないまま退院しました。
入院中は通常食が受け付けられず、ご飯が美味しいことでも有名な産院なのにずっと病人食になるという悲劇_(:3」z)_
入院が長引いたおかげで健康保険証の切り替えと発行は間に合いました。
あと、食事が取れなかった影響で、体重が妊娠前まで戻って退院。
せめてもの救いは入院に対して診断が付いたので(分娩に伴う恥骨離開)、加入していた医療保険の女性特約に該当したことでしょうか…。
医療費補助も受けられたので金銭的な負担が少なく済みました。
ここからもなかなか大変な事が続きますが、また改めて書きます。
胃痛は治りましたが、子宮脱はその後4年間再発と治療を続ける事に(現在継続中)
恥骨離開はその後恥骨結合炎として5年経ってもまだ続く事に。
とまぁ、自分の中では結構壮絶な二人目出産体験でした_(:3」z)_
もう子ども産まないと当時心に誓うほどには…。
って言いながらもうすぐ3人目の出産です(笑)
だって、好きな人ができて…想いが通じ合って、その人が子どもを熱望していたら…
叶えてあげたいと思っちゃうじゃないですか(*´꒳`*)
正直出産の怖さはめっちゃありますけど…腹括るしかない。
元旦那?
その後離婚しましたよ(・∀・)
理由は…ここだけ読んでいただいただけでも何となくご理解いただけるかと(笑)
まだまだたくさん離婚理由はあるので、ご興味がある方はいずれ書くであろう愚痴記事をお待ちください。