スピリチュアルを長年やって、たどり着いた場所は、普通の日常だった。


たくさんのワーク、ヒーリング、講座、メソッド。

いろいろ体験し、学び、ヒーリングを仕事にもした。

多くの人と関わり、人間のあらゆる感情に触れ、癒やそうと努力もしてきた。


自分を見つめ、目の前の人と向き合い、

問題を解決しよう、より良い方向へ進もうともしてきた。


見えない世界に憧れた。

見える人、聴こえる人、メッセージを受け取る人を特別視し、

そんな力を持てば世界が変わると信じて、たくさんの時間も労力もお金もかけて学び続けた。

それが好きだったし飽きなかった。


でも、すべてを体験し、葛藤し、削ぎ落としていった先で気づいた。


自分を生きるのに、何かを必死に身につける必要はなかったのだと。


あれほど憧れ、比較し、落ち込んでいた「特別な力」は、

生きるうえで必須ではなかった。


それを欲しかった理由も、やがて見えてきた。


先が見えない不安。

自分の感覚を信じられない弱さ。

人とは違う何かを持ちたいという願い。

抜きん出たいという欲求。


それは劣等感の裏返しだった。


私は、特別であることで、自分の価値を感じたかったのだと思う。


そう気づいて、ひとつひとつ手放していった。


削ぎ落とした先に残ったのは、

驚くほど静かな、普通の日常だった。


特別じゃなくていい。


やりたいことはやる。

やりたくないことはやらない。

でも日常には、やらなければならないこともある。


もし今の状況から変わりたいなら、

結局は自分で動き、仕組みをつくっていくだけ。


それもまた、特別なことではない。


私は昔から欲が少ない。

一つあれば十分だと感じやすい。


物質欲では動きにくかった私を動かしていたのは、

低い自己価値感と、承認欲求だった。


その炎も、今は静かになった。


いまはただ、

毎日をゆったりと生きている。


それだけで、足りている。