男だからとか、女だからとか。
これも、私にとっては理解できないもののひとつです。
いや。ええと。
身体のカタチに「男性」と「女性」で特徴が違うのは、わかりますよ。
そこまでは、わかります(さすがにー)
でも、そこに「男らしさ」「女らしさ」という「らしさ」という言葉がついたり、
男の役割、とか女の役割、とかそういうものが出てきたとたんに、
わからなくなります。
もうこれは、
脳内がしゃわわわわとフリーズするくらいに、わからないです(笑)
仕事は男がするもの、とか
女は家事をするものとか、
えっ、ここ何時代???
ん?現代??
地球っていまだにそんな考えあるんだ???
人間ってまだ戦争なんてやってるんだ、
というのと同じくらい衝撃的で、もう子どもの頃から不思議でたまりませんでした。
まぁ、最近はあまりなくなったのか?とも思ってみたりしますが、
実はそうでもないよね。
何でこんなに根強いんだろ^^;
男の育児、とか男の料理、
女性の社会進出、
女性の大統領誕生!とかってわざわざ言わないといけないくらい、
「男とは」「女とは」について、暗黙の了解があるってことでしょ。
それ、暗黙でも、
みんな了解してるの?
本当にそう思ってるの??
えーーーー!!
それが暗黙の了解なのーーーーっ!!??
って、思っちゃうわけです。
だって、わかんない。
どう考えても、窮屈でしょ。
そんな「らしさ」なんてつくっちゃって、
そこに近い人ほど理想だ、なんてことにしちゃって、、、
どうしてこうも人間は自分で自分の首を絞めるのだ!!
Mにもほどがあるわっ!!!笑
もー。ほんとのほんとにわからないから、
小さい頃から必死で考えて無理やり理由をこねくり回してきたわけですよ。
男性は身体の構造的に、女性より力が強い。
だから狩りに行くのは男性のほうが適している、
女性は、妊娠する期間が長いし、
赤ん坊が生まれてからも授乳しなきゃいけないから、
男性に狩りに行ってもらった方が楽だし、効率的かも。
とかって考えるけどさ。
・・・っていうかこれ、原始時代の話じゃん!!!!
オイ!
と、まず自分突っ込み(笑)
うーーん、その感覚が今も残って・・・?
・・・。(´-ε -`)
進化しろよ人間!!!
Σщ(゜ロ゜щ)
百歩譲って、
原始時代、狩りをする時代の話だったら、わかります。
(とはいえ女性が狩りに行って男性が子育てをするような民族もあるらしいですよね)
でも、現代でしょーーーーーー????
わかんなーーーーーーい!!!
だから、理解するの無理なんです(あきらめた!)
というか、この文章書いていても違和感です。
何でこんな当たり前のことを、わざわざ書いているのだ私は?
と、思うのです。
まさかこんなこと信じてないよね?
違うよね?みんなホントは信じてないよね?
と、なかばドキドキしながら書いてます。
だって、
(うん、ここはあえて言ってしまおう)
男らしさ=力強さとか
女らしさ=しなやかさとか
ほんとに、そう????
そう思い込んでいるだけでなくて?????
誰かに言われたから、
誰かがそう言ったから、
そう思ってるだけじゃなくて????
少なくとも、
「男らしさ」「女らしさ」というのは、
あなたが決めたものではないよね。
男らしさとか、
女らしさとか、
そんなもの、誰かのつくった「イメージ」でしか、ないんだよ。
それを、一人ひとりが演じているだけに過ぎないんだよ。
誰かが「こういうのを、男らしいと言う」
「女らしいとは、こういうことだ」と言ったことを、
信じただけに過ぎないんだよ。
たとえば、親から。
知り合いから。
友達から。
テレビから。
広告から、、、そうしたいろんなものを通して、
「男らしさとは」「女らしさとは」ということを
「学習」しただけに、過ぎないんだよ??
そこにちっとも「あなた」や「わたし」は、
いないんだよーーー!??
そんな「男らしさ」や「女らしさ」は、
実体のない、ハリボテみたいなもの。
そんなハリボテに、
自分を無理やり合わせようとしたら、
苦しいのは当たり前だよ。
ハリボテは、ハリボテ。
そこにいるのは、
生きている人間じゃないんだから。
学校行って、就職して、結婚して、子ども育てて・・・みたいな
「そうして生きていくものだ」みたいなイメージと同じく、
それって、実体のない「イメージ」でしかないんです。
虚像なんだよ。
それに合わせてどうするーーー!!!!
男とはとか、女とはとか、
作り話みたいなもんだと思ってるのです。
男は、一般的にこうこうこういう性質があって、、、とか
女性はこういう傾向があって、、、とかって、
もっともらしく言われてるけど、
まぁ、脳の構造上の違いうんぬんは多少あるかもしれないけど、
ホントのところなんて、ちゃんとわかってないんだと思うの。
だって、そうじゃない部分を隠したり、無視しようとしている部分って、すごく大きいと思うから。
だって、「らしくない部分」って、見せちゃいけないことになってるでしょ。
それが恥ずかしいから、否定されるから、引かれるから、とか、いろんな理由で。
そして、「らしくあるように」って、努力するのが「普通」であると言われてきて。
(女だから身だしなみを整えなきゃとかもね!←男性は多少ルーズでも許されるのはナゼ笑)
どこからどこまで「つくられた」のかわからないくらい、
当たり前になっているだけなんだよ。
それこそ、何気ない行動のひとつひとつに、「女だから」とか「男だから」ってのが、
隠れてたりする。
そんなこと意識してたら、めんどくさくて地球で生きてられないけどね!(笑)
ある意味「楽なこと」ではあるんだよね。
定義づけをすることって。
女だから。男だから。も、そのうちのひとつ。
(他には、年齢とか、立場とかも基準になるね)
何かひとつでも基準があったほうが、楽は楽なんです。
考えなくていいから。
私は、どう感じるんだろう?
私は、どんな行動をしたいんだろう?
そんなことを考えるのは、
めんどくさいといえば、めんどくさいわけです。
服を着るのにも、
外へ出かけるにも、
食事をするにも、
「いま、私だったら、どうするか?」
なんてイチから考えるのは、
めちゃくちゃめんどくさいことなワケです。
だから、誰かのつくった基準で、
とりあえず生きちゃうんだよね。
とはいえ。
それ、ホントはぜんぜん楽じゃないんだよね。
男と女という定義づけに関しては、
正直、ほとんどの人は
いま一般的に言われている「男とは」「女とは」によって、
得をしているとは思えないんです。
どっちにとっても、本当は不自由だし、縛られている。
だって、選択肢が狭まるってことだから。
合わないんだったら、さっさとやめて、違うもの選んじゃえばいいのに。
私はどう感じる?
私は、どうしたい?
で、生きちゃえば、シンプルだよ。
どーせ私たちは皆、
男や女である前に、
それすらも超えた、
なぁんでもない、ただのひとつの魂なのだ(・∀・)