小さい頃、よく空想してたことがあります。
私が目を開けている間、世界が私に見せている世界が「仮の姿」だったら。
だって、瞬きして目を閉じている間、眠っている間、私は世界がどうなっているのか知らない。
私が寝ている間に家の前をピンクの象が歩いていても、
私は気づかないんだよ。
瞬きの、目を閉じる一瞬の隙に、景色がぐにゃぐにゃに溶けて赤に緑に点滅していても、
目を開けた瞬間に元通りになっていたら、
私、何も知らないままなんだ。
世界中が私にバレないように嘘をついていたら。
ニュースも学校の友達も、親もお店の人も、みーんながこっそり手を組んでいて、
壮大な「ドッキリ企画」で、私をだましているとしたら。
私が今見ているものはぜんぶ「幻」で、
世界の「本当の姿」は、まったく違うものだとしたら。
「はい、今までのは全部ドッキリでした~~~!!!」
って、種明かしされるまで、
私は、何も知らないんだ。
なんて想像して、どきどきしてました(笑)
こういう想像、好きなんです。
「世界の本当の姿は私の思っている姿とは全然違うかもしれない」と想像することって、ワクワクするの。
違ったら、どうする??
だって、実際、私「世界のすべて」なんて、知らないしね。
実際「目で見て」いる世界なんて、
ほんとにほんとにほんとに「一部」でしょ。
しかもその自分の中の情報って、
かなりの部分が人から聞いたことだったり、しない??
周りの人。ニュース。ネットでの情報。
特に今の時代は、世界についての情報はあふれている。
それを「世界の姿」と思ってしまいがちだけど、
自分がそこにいて、体験したことって、
ものっっっすごい一部だったり、しない???
たとえテレビで「嘘」を流していても、
いかにもそれがもっともらしく、
一斉にあちこちで流れていたら、
嘘だと気づかないかもしれないね。
たとえ本当は起こっていないことでも、
実際にそこにいるわけではない自分には、確かめようがない。
確かめるにも、結局「人から聞いた情報」を頼りにするしかない。
どんなものもだけど、
情報って「ある一方からの見方」でしかないしね。
発信する人の主観によってしまうものでもあるし。
そこに行って確かめればわかるとしても、
世界中のすべての場所に行くのなんて不可能。
次の瞬間、状況は変わっているかもしれないしね。
よく思うのは、
テレビのニュースって、「事件」とか「事故」とかばかり放送していて、
どちらかというと「ネガティブ」な情報ばかり表に出ているけれど、
本当は世界ってものすごく平和かもしれないじゃん?
(実際にどう、という話じゃなくてね)
日本中で、
いいニュースが9割で、
悪いニュースが1割でも、
その1割の悪いニュースだけ取り上げられていたとしたら、
私たちの目には「この世界は危ない。危険に満ちている」と映るかもしれない。
私たちって、
ものすごく不確かな情報を頼りに世界を定義しているかもしれないんだよ。
別に、メディア批判ではないよ。
テレビを例に挙げただけで、
たとえば、隣の○○さんの情報、
友達の話、どこかのブログの情報、
親が話していた言葉。
どれも同じ。
自分の価値観をつくっているのも、
自分の世界観をつくっているのも、
自分で体験していない「情報」が、ほとんどかもしれないよ、ってこと。
「世界の本当の姿」なんて誰も知らないのかもよ。
もし、テレビもインターネットもなかったら、
この世界で戦争が起こっていることも、一生知ることなく人生を終えたかもしれないよね。
地球になんて名前の国があるかも、教えてもらうことがなければ、知らないままだ。
ほんとうに「リアル」なものって、どれだけあるんだろう。
私、それすらもわからないんだ。
確かめようがないんだもの。
知らないまんま。
まぁとりあえず、
私は私の目を通して経験する世界で生きていくしかないよね。
その「私にとってのリアル」すら、
私のつくりあげた「幻」でしかないかもしれないけれど。
幻かもしれない。と思った瞬間の、
世界が溶けていくような感覚。
自由になっていく感覚。
そこで漂いながら、
日常を生きていくのは、
なんだか心地よかったりする^^