前回の記事はこちら↓

「もし今、世界から時計が消えてしまったら?」



そこにも書いたんですが、


地球の「時間」という概念は宇宙共通なわけじゃないんですよね。





ここで言ってる「地球の時間という概念」というのは、

一分、一秒、一時間、一日、一年という、


「分割された時間」です。



ある意味テキトーですよこんなん。



そもそも地球が太陽の周りを一周するのを「一年」、

地球が一回転するのを「一日」と、


人間が決めただけですからね。




わかりやすいように。





わかりやすいようにつくられただけの、

「ものさし」みたいなものなんだよ。



ただそれだけですよ。

私たちの知ってる「時間」なんてそんなもんです。



もし世界中の時計が何かの拍子に狂ってバラバラに動き出したら、

誰も「本当の時間」なんてわからなくなりますよ。


そもそも時間なんて存在しませんからね。


時間なんてそんなもんです。

実体のないものを「在る」と錯覚しているだけです。




「一分の感覚」とか

「一時間ってこれくらい」とか、


ただの「慣れ」だし。

時間の実体とは違うのよね。





人間の体はだいたい地球でいう「24時間」のサイクルに適応するように進化してきているせいで、

だからこそ「一日」という感覚に違和感は感じないけれど、


この感覚も地球だからなんだよね。



同じ太陽系でも、

金星の一日(自転にかかる時間)は243日。

(いつまでたっても夜が来ない、夜が明けない…)


逆に木星だと約10時間。

たった10時間のうちに、朝が夜になり、次の朝が来ちゃう。

(ちなみに、木星の一年は地球時間換算で11年!なんと長い一年!)





だから「地球だから」なの。




他の惑星だったら、


「一日」の感覚も、違ったかもしれないね。






そうするとさ。

他の星の知的生命体は、

違う時間感覚を持っているかもしれないってこと。


地球の時間感覚はきっと通じないんじゃないかな。

っていうか、「時計」のない星のほうが普通なのかもと思う。




この、一日、一年とか、

一日をさらに細かく分けるとか、


そういう「時間を分割する」という考え方って、

人間のものすごい発明だと思う。



うん。すごいとは思うんだよ。




だけどさ、その時計だって、結構無理くり調節してると思いませーん?




地球には24個の時計があるんだよ。

つまり時差のことだけど。


ある時点を過ぎただけで時間が変わるの、小さい頃は不思議だと思ったなぁ。


なぜわざわざ時差をつくったかってのも「昼の12時」と言ったとき「12時かぁ、明るくて暖かい、お昼ごはんの時間だなぁ」と地球のどこに暮らす人でも同じ感覚を持てるようにだよね。


もし地球に時計がひとつしかなかったら、

たとえば日本で13時はお昼だけど、アメリカでは13時は真夜中で真っ暗の時間帯をさすから、

「昨日の13時にごはんを食べた」と言ったとき、

両者イメージするものが違って混乱することになっちゃって、話がしづらいからね。



カレンダーにしても、うるう年を作ったり、

人間の試行錯誤の結果だなーというか。





はっきりと定義しようとするとあちこちに調整を加えないといけない、

つまり、


時間ってそんなに「はっきりと定義できるもの」じゃないってことなんだと思うのよ、やっぱり。


地球レベルで定義しようとしても多少の無理があるくらい、

あやふやなものなんだよ。




今は時計によって昼と夜をだいたい定義してるけど、

実際は昼の長さ、夜の長さも日々変化しているよね。

冬は夜が長くて、夏は昼が長くて。



時計に合わせるように生活しているから意識しないだけで、

私たちの地球の「一日」という感覚すら、日々変化しているものかもね。








時計のある生活はあまりにも当たり前になっているけれど、


地球でそれが当たり前になっているからといって、

それが「普通」なわけでも、

「自然」なわけでもないんだよね。






まして、それが世界の「本質」なわけでは、まったく、ない。







一分も、一秒も、人間のアタマの中にあるだけ。


今感じている「時間」の感覚だって、

ただの「錯覚」なんだから。