もし今、一斉に、
世界から時計が消えてしまったら?
戸惑うよね。
大パニックが起こるかも?
だって、私たちは今、時計の教えてくれる「時間」に、ものすごく依存してる。
今何時くらいだろう?
さっき家を出てからどれくらい経ったろう?
そろそろ昼ごはんの時間?
もう寝る時間かな?
どこを見ても、それを教えてくれるものがなくなったら?
時計に合わせた生活が当たり前の今の地球。
「食べる時間」だから食事を取って。
「寝る時間」だから眠りについて。
今、何をすべきかさえ、時計によって決めてたり。
時計のある世界で生きるのが当たり前になった私たちは、
時計のある世界に生きるのが自分たち人間だけであることすら忘れがち。
一分、一秒、一日、一年・・・
これも、人間のつくり出した概念のひとつであって、
「存在する」わけではないんだよね。
月、火、水、木、金、土、日・・・
曜日だって本当は「ない」んだ。
そう。
「ない」んだよ。
ないの。知ってたーーーーーー!?
あるとき突然気づいたの。
ふと「花から見える世界はどんなだろう」と考えていたとき。
(いやあの、詩でも書こうとしてたかも笑)
「あっ、花には曜日の感覚ってないんだ!
今日何曜日とか、花には関係ないよね。
ってことは、“休日”って感覚もないんだ!」
「あっ、時間の感覚もないんだ!
明るくなったら開いて、
暗くなったら閉じてるだけなんだ!」
なんかね、大発見した気分でした。
今まで私の中に当たり前にあった「時間」の感覚そのものが、
ぱーっと消えてまっさらになっていくような。
○月○日も、○時も、本当は存在しないんだ!って。
「今」という時間はどんな意味も持たない時間なんだ、
意味を与えてるのは人間なんだ、って。
他の動物も植物も、
時計もカレンダーもない世界に生きてるの。
まるで違う世界かも、って思った。
それからたまにね、想像してみるんだ。
時計のない世界ってどんなだろう。
暮らしてみたい。そこで生きてみたい。
時計のない世界って、
きっと自分の感覚を頼りに生きるの。
明るくなったら起きて、
おなかすいたら食べて、
暗くなったら寝て。
そういう一日になるんじゃないかな。
カレンダーのない世界では、
季節の移ろいは、きっとすべて五感で感じるものになるの。
暖かくなって、寒くなって。
この前散った枝の花がまた咲いて。
肌で感じる「今」という経験になるんじゃないかな。
時計もカレンダーもない世界は、
時間の感覚そのものが、
今とはまるで違うものになるはず。
(そりゃ、今ここで同じ経験だってできるんだろうけど、やっぱ時計気になっちゃうんだもん)
今、私たちの「時間」の感覚のほとんどって、
時計があるからできてるんじゃないかな。
時計の針が規則正しく刻むから。
時間ってそういうものだと思ってる。
私たちが「今」を忘れて未来や過去に生きてしまうのも、
時計があるからできることなのかもしれないよ。
時計が悪者なわけではないよ。
もちろん、
時計があるのは、それが便利だからだもの。
「時計」という「共通の認識」があるから、
誰かと「どこで何時に」と待ち合わせができる。
仕事だって、何時から何時まで、と決めることができるのは、時計があるから。
あのお店は何時から何時まで、休みは何曜日、とわかってたほうが、
行ってみたらやってなくてガッカリ、という思いもしなくてすむしね。
予定を立てられるのは、
時計があるからなんだよね。
でも、時計を利用して予定を立てることによって、
○時までに何をしよう、
それまでにこれを間に合わせなきゃ、
これに○分もかかってしまった、
あと残り○分だ、
そうやって、
「消費する時間」という錯覚が生まれたんだと思うんだ。
時計の針が進むのが目で見えるもんね。
だから、時間が「なくなる」とか「足りない」とか感じたりする。
本当は「存在しないもの」だって忘れてるだけなんだよ。
私たちの感じている「時間」だって、
ただの概念でしかないの。
しかも、
地球の「時間」という概念は地球限定のもので、
宇宙共通なわけでは、ないのですぞーーー。
・・・まぁ、だいたい地球で生きて地球で死んでいくんだから、それで問題はないのでしょうが。
単に。。。
地球の常識は宇宙の非常識、ってことを言いたいだけであります。
むしろ時計のある星めずらしいかもよ?
当たり前じゃ、
ないんだぞぃ。
今の地球の社会の仕組みだと、
時計のない世界ってのは不可能かもしれないけど、
またそういう世界のほうがいいって人のほうが少ないのかもしれないけど、
私はねー・・・
時計のない世界のほうが生きやすいんだよなー・・・と、
ぼそっと、ひとりごと。。。