昼休みって必要なの?



…いやえっと、昼食べなくてもイイじゃん、って意味じゃないよ。
昼休んでないで働けとか、私間違ってもいいませんってば(笑)




じゃなくてね、
決められた時間にみんな一斉にごはんを食べる必要があるの?

どうしてお腹空いたときに食べちゃいけないの?ってコト。



体の大きさも、必要なエネルギーの量も、消化するのにかかる時間も、一人ひとり違って当たり前。

一日一食で足りる人と、三食必要な人と、一回に少ししか食べられなくて五食必要な人だっているかもしれない。
人間の体は時計の針みたいに一分一秒刻んでるわけじゃない。





不自然でねっすかーーーーー!?


お昼12時におなかがすくなんて誰が決めた!?







おなかすいたら食べたいし、
おなかすいてないのに食べたくないじゃん。



工夫次第で“それぞれ食べたいときに食べる”って可能だと思うのだ。




そりゃ、決まった時間に一斉に休みをとるのは、メリットがあるからだよね。
特に、学校とか、大きな企業になるほど、そのメリットは大きいんだろうね。
管理する側は楽だもの。

でも“それくらい我慢しろ”なんてのはあくまで管理する側の都合でしょ。


おなかすいたときにごはん食べられたほうが仕事もはかどると思うけどなぁ。



おにぎり一個、食べられるだけで違うじゃない。

たとえば学校だったら、
昼休みをなくして、
その代わりに一回ごとの休み時間を増やして、
各自、食事を取りたい人は食事、
予習したい人は予習、
仮眠とりたい人は寝る、
とか自由に過ごせるようにするとか。

仕事だって、総勤務時間を満たすように働けばいい、とかにして
どうしてもみんなそろってないといけない時間
(ミーティングとか忙しいピーク時)以外だったら、
暇をみてそれぞれ好きなときに休みが取れるようにするとか。


そっちのほうが面倒くさいって人は、
毎日自分の決めた時間にごはん食べればいい。


また、コミュニケーションとしての食事も、
人と一緒に食事を楽しみたいときに、
それを選択できる環境さえあればいい。
(そもそも楽しむことって強制されるものじゃないし)



考えれば方法はあるんじゃないかなぁ。
簡単なことかもしれないじゃない。

「食事の時間なんてそんな小さなことどうだっていい」と言われるかもだけど、
小さなことだからこそ、単純な工夫で解決してしまうかもしれないよ。

で、そっちのほうが過ごしやすいと思うのだけど。

きっと、それが普通のことになっちゃえば、
普通のことになるよ。





「選択できる世界」のほうが生きやすくない?





とかくこの世界は
「考えるな」「決められたことをしろ」
と言ってる気がするよ。




自分の感覚に素直になるほど、

今の世界って、
自分の感覚を無視しないと生きにくい仕組みになってないか?と思っちゃうの。

「おなかがすいたから食べたい」というごく自然な欲求でさえ。


小さい頃からこういう世界で過ごしてきたら
(特に学校と言う制度の中で過ごしてきたら)、
自分が何を感じるか、何をしたいか、
わからなくなることのほうが当然だと思うんだ。



シンプルな欲求を満たせる世界は、
誰にとっても生きやすいんじゃないかなぁ。


少なくとも私は、そういう世界のほうがいいー。