前回の記事にも関係するんだけど、
「感覚する」ことの不思議について。
肉体を持っている私たちにある、
五感(視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚)。
これによって私は私のいる世界を認識しているわけですが。
前回の記事のね、
この↓部分なんだけど。
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たとえば、りんごがあるとするでしょ。
同じりんごを切って食べるとするでしょ。
ある人はそれを「甘くて美味しい」と感じ、
ある人は「すっぱくて苦手だ」と感じる。
それに味なんか、体調によってだって感じ方が変わるしね。
りんごの味が変わったんじゃないよね。
その人の持っている感覚によって変わるってことだよね。
りんごを食べることによってわかるのは、
どんな味覚を自分が持っているかなんだよ。
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これって、すっごく不思議だったの。
考えれば考えるほど、不思議になるの。
だって、じゃあ「本当のりんごの味」なんて、誰も知らないんだよ。
あなたと私で、同じりんごを食べても、
感じている「味」は違うの。
あなたと私でも違うし、
たとえば、ハエが感じている「りんごの味」だったら、もっと違うかもしれない。
たとえば「甘み」を感じることのできない動物がいるとして、りんごを食べたとしたら、
「なにこれまっっっずい」と思うかもしれない。
腐った肉を「ご馳走だ」と感じる動物だっているわけでしょ。
それぞれがそれぞれ違う「りんごの味」を感じているわけですが、
「どれが本当のりんごの味でしょう?」なんて、結局誰もわからないんだよ。
だから私ね、「りんごって本当はどんな味なんだろ」とか、興味津々なんですヨ。
知りたくてたまらないわー。
叶わないのわかってるけど(笑)
色もそう。人間には見ることのできない色(赤外線とか)だってあるし、
イルカには聞こえる超音波が、人間には聞こえない。
それぞれ違う世界に住んで、
違う世界を見ているの。
同じものを見ていても、だよ。
この世界って本当はどんな景色なんだろ。
どんな色なんだろ。
どんな音が聞こえるんだろ。
こんなことを想像してはワクワクするのですよ。
世界は、私の見ている通りではない。
今、目の前に「在る」ように見えるものでさえ。
ミクロとマクロを一度に見れる視点、
すべてを見ることのできる創造主の視点って、
肉体を持った感覚ではきっと理解できないんだろうけど、
そのスケールのデカさを想像するだけでなんだか圧倒されるんだよね。
五感って、肉体があるからこそ。
それがあることによって「ありのままの世界」を見ることはできなくなってしまう、
ある意味「制限するもの」ではあるけれど、
五感があるからこそ、
100億人いれば100億通りの感じ方が生まれるわけで。
それこそ人間だけじゃなくて、この地球上に今いる・今までいた全動物…その総数分、
その数の分だけの、感じ方があるわけで。
少なくとも、
自分の見ている以上にこの世界は大きくて深いのだ。
あぁ、ため息がでちゃいそう。