前回の記事にも関係するんだけど、

「感覚する」ことの不思議について。


肉体を持っている私たちにある、

五感(視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚)。


これによって私は私のいる世界を認識しているわけですが。




前回の記事のね、

この↓部分なんだけど。


------------------


たとえば、りんごがあるとするでしょ。

同じりんごを切って食べるとするでしょ。


ある人はそれを「甘くて美味しい」と感じ、

ある人は「すっぱくて苦手だ」と感じる。

それに味なんか、体調によってだって感じ方が変わるしね。


りんごの味が変わったんじゃないよね。

その人の持っている感覚によって変わるってことだよね。





りんごを食べることによってわかるのは、

どんな味覚を自分が持っているかなんだよ。


----------------------------



これって、すっごく不思議だったの。

考えれば考えるほど、不思議になるの。




だって、じゃあ「本当のりんごの味」なんて、誰も知らないんだよ。





あなたと私で、同じりんごを食べても、

感じている「味」は違うの。


あなたと私でも違うし、

たとえば、ハエが感じている「りんごの味」だったら、もっと違うかもしれない。


たとえば「甘み」を感じることのできない動物がいるとして、りんごを食べたとしたら、

「なにこれまっっっずい」と思うかもしれない。


腐った肉を「ご馳走だ」と感じる動物だっているわけでしょ。




それぞれがそれぞれ違う「りんごの味」を感じているわけですが、


「どれが本当のりんごの味でしょう?」なんて、結局誰もわからないんだよ。





だから私ね、「りんごって本当はどんな味なんだろ」とか、興味津々なんですヨ。


知りたくてたまらないわー。

叶わないのわかってるけど(笑)




色もそう。人間には見ることのできない色(赤外線とか)だってあるし、

イルカには聞こえる超音波が、人間には聞こえない。






それぞれ違う世界に住んで、

違う世界を見ているの。


同じものを見ていても、だよ。







この世界って本当はどんな景色なんだろ。

どんな色なんだろ。

どんな音が聞こえるんだろ。




こんなことを想像してはワクワクするのですよ。


世界は、私の見ている通りではない。






今、目の前に「在る」ように見えるものでさえ。




ミクロとマクロを一度に見れる視点、

すべてを見ることのできる創造主の視点って、

肉体を持った感覚ではきっと理解できないんだろうけど、

そのスケールのデカさを想像するだけでなんだか圧倒されるんだよね。



五感って、肉体があるからこそ。


それがあることによって「ありのままの世界」を見ることはできなくなってしまう、
ある意味「制限するもの」ではあるけれど、


五感があるからこそ、
100億人いれば100億通りの感じ方が生まれるわけで。


それこそ人間だけじゃなくて、この地球上に今いる・今までいた全動物…その総数分、

その数の分だけの、感じ方があるわけで。






少なくとも、

自分の見ている以上にこの世界は大きくて深いのだ。




あぁ、ため息がでちゃいそう。