私ね、周りの世界への関心がないんです。
ニュースもそうだし、
世界情勢、政治、身近なところでは他人の生活とか、関心ごととか。
「他人事」って感覚が強いです。
まぁ自分のことですらある意味「どうでもいい」と思ってますからね(笑)
あれが悪い、これが悪いと批判してイライラしたり、
政治や世界情勢に不安を感じたりするってのも、私にとってはわからない感覚なんです。
ニュースとか世界情勢に関心を持てないことが、
なんだか「いけないこと」のように感じたりもしたよ。
世界で起こっている悲惨なことに悲しみ、
それを変えようと願うのが、心がある人間なら当たり前、って言われているような気がして。
でもね、関心を持とうと頑張ったからといってできることじゃないんだよね。
地球のサポートしに他の星から来たというわりに、
「世界を良くしたい」という強い願望とか、ないの。
きっとそれは、
「悲惨なこと」を悲惨だと思えないから、
「深刻な問題」を深刻だと思えないからなんだと思う。
私はね、すごく「冷めてる」部分があるんだ。
この世界で起こる出来事なんて、
ぜーんぶ、死んだら関係なくなっちゃうことだから。
肉体から離れてしまえば、全部どうでもよくなっちゃうレベルの話だから。
私の基本の感覚はそれなんです。
どんな酷い目にあおうと、
どんな仕打ちを受けようと、
どんな痛みを感じようと、
どんな屈辱を感じようと、
どんな危険を感じようと、
肉体があるからそれが「深刻」に思えるだけで、
魂のレベルではどうってことないことだからね。
そう、肉体を持ってそれを体験している間はそれがものすごく苦しかったり辛かったりするのはもちろんわかるよ。
でもそれはあくまでも「肉体レベル」の話なの。
肉体を持って経験したことは、この肉体を離れた時点で「お別れ」なんだよ。
その経験をどんな解釈したりどんな学びにするかはその後にもあるだろうけど、
そのときにはもう肉体を持っていたときと同じような感覚はないからね。
深刻だったものは深刻でなくなるし。
自分の人生を思い出すときには、映画を見ているような感覚じゃないかな。
・・・死んだことないけどね(笑)
でもそういう感覚はあるというか。
(っていうか生きているときからそういう感覚でいるのはどうかと思うけど)
だからね、
この世界で起こることはなんでも、
いつかどうでもよくなっちゃうこと、とわかっているから、
そしてそれは、自分だけでなく、他人にとってもそうだとわかっているから、
(悲惨な状況を経験している人にとっても、肉体を離れたらその苦しみや辛さは「なくなる」問題だから)
自分の人生に対しても、のめり込んだりできないんだ。
あ、魂のことね。