私、どちらかというと無口なほうだと思います。
特に初めての人とだと、どう話していいかわからない。
苦手意識とかじゃなくて、必要を感じないの。
「なんか話したほうがいいんだろうか?」とは思うんだけど。
もともと「話す必要ないのにどうして話すの?」という感覚がいつもあります。
いやね、世間話とかも、一応するんですよ。
世間話というか、日常生活での会話というか。
でも「なんでこんな意味ないこと話すんだろう」感がハンパない。
一応しますけどね。(←強調)
昔から、それほど「人と話したい」と感じないんだよなぁ。
「話す」ことはある意味、意味のないことというか、どうでもいいことのような気がしてます。
親しい人と話しているときですら「なんでこんなこと話してるんだろう」と思ったりします。
会話をしていると、
なんだかとても「からっぽなもの」をやり取りしてる気になることがあるの。
言葉が、ただの音になる瞬間というか。言葉が意味を失う瞬間。
そうして一瞬だけど、途方にくれるときがある。
取り残されたような。
それがなんとなくいつも感じている違和感なの。
私にとってね、会話ってのは「虚像」なんです。
みんな魂では全てを知っているでしょ。
でも、知らないフリをしてる。
何も知らない自分を演じている。
そうして、日常生活の、こまごましたことに浸っている。
いくらそれになりきっていても、
そこで話される言葉は、
役者の口から出る「セリフ」でしかないんです。
乱暴な言い方なんですが、
私が会話しながら感じているのが「うそくささ」なんです。
「これが自分だと思い込んでいる自分」同士がやり取りしているだけで、
それはその人そのものではないわけで。
その人そのものに触れ合えるわけじゃないのなら、
そこにどんな意味があるんだろう?
もしかしたら、私「その人そのものに触れたい」のかもしれないね。
私にとってそれは「言葉」でできるものではないの。
あ。物理的に触れると結構わかるよ。
言葉にできる感覚じゃないんだけど、
物理的に触れたときって、その人の「魂(エネルギー?)」みたいのを感じて心地よい。
(魂のエネルギーって、すごくピュアな感じがするよ)
だからこそ、言葉が「いらない」ものだと感じるのかもね。
ないほうが理解できるから。
そもそもさ、会話っていうものは、
それぞれがそれぞれの感覚で「言葉」を受け取るじゃない。
とらえ方、感じ方が違うじゃない。
自分のわかるように、相手の言葉を「理解しちゃう」。
自分の中で、変換してしまうわけ。
言葉でのやり取りはとても「閉じた」もののような気がするのです。
私の感じる違和感というのは、
その「窮屈さ」なのかな。
もちろんね、
意味がないと思えるからといって嫌々しているわけでも、
この世界で上手く生きていくためには仕方ないと諦めてるからしているわけではないよ。
人と会話することも、
自分で望んでしているものではあるの。
私が「会話」をすることを選ぶ理由としては、
話しているときの「楽しさ」や、話すことで感じる「一体感」「場のゆるみ」を感じたいから、かな。
だって、言葉を介することで、目の前の人が笑ったり、楽しそうにしたりするから。
それが嬉しいからするんだよね。
時間を共有している喜びというか。
とはいえ。。。
もし「言葉」がなくても一緒にいる楽しさや、一体感が感じられるなら、
会話する必要はないよね?
会話したくなるのは、
肉体として別々の物質として存在していて、
あなたと私は別のものだ、分離されたものだという感覚があるから、
少しでも近づきたくて「言葉」だけでも触れ合おうとするのかもね。
本当は、言葉を使わないほうが、
伝わると思ってるよ。
肉体があると難しい気がするんだけどさ。
なんかこう、エネルギー的に伝え合えたらいいのにね。
エネルギー的に伝え合うのがテレパシーだとすれば、
テレパシーってきっと、ものすんごくストレートなものなんだろうね。
言葉にならない微妙なエネルギーですら伝えられちゃう。
そっちのほうがずっと面白いんだろうになぁ。
もしかしたら地球に来る前はここまで肉体に縛られる世界にいなかったのかもね。
あっ、そうなのかも。
この感覚って、不自由さ、窮屈さなんだよなぁ。。。