「大きくなったら何になりたい?」
「将来の夢は?」って、小さい頃はよく聞かれますよね。
私もそれに対しては色々答えてました。
一番長かったのが「漫画家」って夢かな。
でも、将来何がしたい?
と聞かれるたび、
「ん?なんだこれ?」
と思うような、ちょっとした違和感があったんです。
あまりに小さな違和感なので、そのときは疑問にも思わない程度のものですが、
思い返してみると、将来の夢を聞かれるたびに感じていたように思います。
その違和感を、今ならやっと言葉にすることができる。
私、なりたいものとかないんだわ。
将来どうなりたいとかないんです、私。
今でもそうです。
まぁ、今まで書いてきたように
「働かなくてもすむ世界」の感覚が自分にとって普通だから、
というせいもあるかもしれませんね。
職業そのものが、あまり必要と思っていないせいもあります。
まぁ、たとえもっと広げたとして。
今の年齢になると将来の夢、というより
人生の目的というところだろうけど、
同じ。
ないです。
これね、ほんとに不思議なくらいはっきりした感覚なんだけど、
私、自分の人生が、どうなっていてもいい、と思ってます。
自分の人生の状態がどんな状態でも構わない。
それでいい、問題ないと思っている。
私にとっては、
たとえ、お金も家もなくて野垂れ死んでも、
誰かに殺されて人生を終えるとしても、
それでぜんぜん構わないんです。
そんな人生でも、
世界一周旅行をして地球の全ての絶景を堪能するとか、
たくさんの人を助けて、感謝されて、たくさん愛されるとか、
そういう人生と大して変わんないと感じます。
どっちが良いとか、悪いとか思わないのです。
この人生で何をしようとか、
何かを成し遂げたいとか、
自分を見つけたいとかも、
愛を知りたいとかも、
ないんです。
今になってやっと気づいたけど、
こういう感覚を持っていたのは、
物心ついたときからだったんだよね。
その頃は言葉にできない感覚だったけど、
ずっとずっと持っていた。
自分を「見つける」必要もないと思ってます。
私は「自分を知っている」という感覚があり、
私は、もう本当にそれで十分です。
(もうその感覚をごまかすこともなくなったしね)
ワンネスの「愛」を感じたい、とかも、不思議と、ないです。
そういう「体験」をしたことは特にないのですが、
きっと、感じようとすればいつでも感じられる、とどこかで知っているからなのかな。
ワンネスの愛、っていう状態は、魂にとっては別に「当たり前」のものなんだと思うよ。
思うに…
「人生」そのものが、私にとっては特別ではないんだと思います。
今は肉体を持って地球で生きてますけど、
肉体があろうとなかろうと「私は私」ですからね。
(肉体が)死んだところで何も変わらない。
もちろん、「佐々木明里」は仕事のこととか
どんなところで暮らしたいかとか
こんな生活ができたらな、とか悩んだりあれこれ想像したりすることはありますけど、
根本にあるのは「どうなっててもいい」って感覚なんです。
そして…もっと奥の奥にある感覚が、
「これでいい」
って感覚です。
私は、このブログの記事でもよく
「どっちでもいいと思っている」
と書いてますが、
それってこの
「ALL OK」
の感覚なのかもしれないですね。
良いも悪いもないし、
ただ在るだけ。
それが宇宙の喜び。
きっと。。。ほんとうはそれだけなの。
それだけで、いいんだよ。