私ね、もともとそんなに怒りとか悲しみとか罪悪感とか不安とか

そういう感情をそれほど持ってなかったのかもしれないの。


地球で生きるために、

わざわざ身につけたものだったんじゃないかと思うの。

そういう感情を持っていない自分が変に思えて、

同じになろうと頑張ったんだと思う。




人の話を聞いていても、ニュースを見ていても、

怒りや悲しみや憎しみや罪悪感はみんな持っているのが当たり前…

まるでそれが世界の大前提でさ。

それが人間らしさだ、人間なら当たり前、って。


なのに私、

そういう感情を理解できてないところがあった。

みんなが怒る事に怒れなくて、

みんなが悲しんでいるときに悲しめなくて。


何をそんなに怒る事があるの?

そんなに悲しむ必要ってあるの?

どうして「自分が悪い」って感じなきゃならないの?

どうして「未来は怖いものだ」と信じなきゃならないの?


「わからない」「なんでだろう?」って。

でもそうして不思議だと感じる自分は、

何か大事なものが欠落しているんじゃないかと思えて怖かった。


他の人にある「感情」が私にはないんじゃないか?
私がおかしいのか?って、それが本当に怖かった。

だけど、そんな自分を知られてはいけない、

理解されなくなって、独りぼっちになってしまう。

だから必死に感じ取ろうとした。



「ここでは悲しまなきゃおかしいんだ」
「こういう状況だと人は怒るものなのだ」
「こういうことするときは罪悪感を感じるべきなのだ」



そうして周りに合わせるように、わざわざ怒りや、

悲しみを感じようとしてたんじゃないかと思う。

相当ね、無理してたと思うよ。


自分じゃないものになろうとするのは疲れる。






昔っから私のデフォルトってね、

「なんとなく幸せ」なの。

人生で起こる出来事はただ「風が吹いている」様な感じで、
あんまりそれについてどうとか思わないんだ。



薄情で冷たいと思われるんじゃないかってくらい、

何も感じてなかったりする。




小さい頃そういう自分に気づいたときは本当に本当に怖かったよ。


人が死んだ時に悲しくなかった自分とか。
「恵まれないかわいそうな子供たち」に心を痛められない自分とか。
私は大切な人を殺されても、

殺した人を恨んだりできないだろうなと思った時とか。

(恨むってこともわからないの)



「何でこんなに何も感じないんだろう?」

「何で怒れないの?」

「何で悲しめないの?」



なんて自分は愛のない人間なんだろうと思って怖かったよ。

人間失格なんじゃないかとすら思えた。

(ま、宇宙人だからねっ)



でもねぇ、自分をごまかして悲しんだり、

怒った「フリ」をしてみたところで、

結局、感じているものは変わらないんだ。




私のベースにあるのは、

人生の中で何が起ころうが、

地球で何が起ころうが、

別にどうだっていいんだってこと。


どんな状態だろうが、

誰が何をしようが、

問題なんかないの。



在るように在るさ、なの。



この人生で起こること全て、生きること、死ぬこと、

どれも季節が巡るのと同じくらい、なんでもないこと。

風が北から南へ流れることと同じくらい、

自然に過ぎて行くもの。


そんな感覚なもんだから、

何が起きても、

「ふーん、そうなんだ」って感じなの。

景色を眺めるような冷静さでね。




動揺したりはするよ。

でも、自分の「芯」、深いところではなんとも思ってないの。

小さい頃から、そういう自分を知ってた。

不思議だったよ。


ほんとにどうだっていいんです。

何が起きても。




自分でもびっくりするくらい。

きっとこれは肉体の視点ではないんだろうね。


魂の視点から見れば、確かにたいしたことないからね。

一見どんなにひどくて最悪の経験に見えるとしても、

どんな経験も、過ぎゆくもののひとつだから。






今はまだ悲しみとか怒りとか罪悪感とか、

自分の中にいくらか残っているけど、

いつか(といってもこの人生の間には)なくなってしまう気がする。

多分、いつかそういう感情を理解できなくなってしまうんだと思う。


悲しみや怒りや、そういった感情を感じることで人とつながろうとしてきたから、

それをなくすのは正直、怖い。

人に共感できなくなっちゃったら、

この地球で生きていけるのかなとかね。





・・・まぁそれはそれでいいか。


それもたいしたことではない気がするんだよ。

あぁまったくもう(笑)




きっと超天然の能天気なんだわーーーー!!(笑)

ということで、





あ、き、ら、め、よう!!


わははヽ(゜▽゜)ノ