ありゃ、こうしてタイトルだけ見るとなんと乱暴な(笑)


頼むから、

説明する前に「お前は環境を破壊する事をなんとも思ってないのか!」

とか早とちりしないでちょ。

・・・ん~、まぁ「環境を破壊する事がうんぬん」が

ある意味「どうでもいい」と思ってるのは事実ですが。

(ああ!誤解を招く発言!)


とりあえずはじめての人は以下の記事から読んでね♪

【長い前置き】


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


二酸化炭素増加で温暖化とか、

オゾン層の破壊とか、

酸性雨とか、


そんな話題山盛りですね。

そんな時代に私、生まれてきました。その地球に。


「地球環境は大事にしなければ」とか

「かけがえのない地球」があーだこーだ、

「人間の傲慢がどーたらこーたら」とか

「みんなが危機感を覚えなければ」とか



ね。

それはそうかもしれないけど。




「地球を守ろう!」とか

「地球を大事にしなければ!」

という言葉にも、

違和感を感じてきました、私。


だって完全に「人間視点」だから。





まずね、第一に、

人間よ、お前は地球を守れるほど偉いのか。


と。そのほうが傲慢じゃないっすかね。

地球は人間に守ってもらわなきゃいけないほど弱くないよ。


「地球が苦しんでます」とか勝手に言ってんじゃないよ。

とか思っちゃいます。



幸とか不幸とか、

良いとか悪いとかってのがそもそも人間視点なんだよ。




もーこの際誤解を恐れずに言っちゃおうかと思うのですけれど、

地球にとっては

「お肌かぶれちゃった、かゆいー」

程度の事でしかないと思うんです。



で。それって、

地球にとっては「どうでもいい」ことだと思うのです。






地球の成り立ちとか知るたびにその気持ちは強くなって。

地球ができたころなんて、

人間には想像もつかないほどの温度の、

ドロドロの火の海だったんだよ。

それって、地球は「苦しんでた」?「辛かった」?


そんなことないじゃん。



今も昔も、

地球は、今ただ「自分が在るように」在るだけなの。



二酸化炭素が増えれば、当然の反応として、

ガスの層が厚くなって、熱が逃げにくくなって、気温は上がるかもしれない。

オゾン層が破壊されれば、当然の反応として、

紫外線が地球に降り注ぐかもしれない。


でもそれは、

コショウのビンを振り振りしたら、くしゃみが出ちゃった。


ってのと同じ事だと思うのです。

当然の反応。

火を触ったら人間やけどするのと同じ。



地球は、何百年、何万年、何億年とかけて今の環境を作ってきたのと同じように、

何百年、何万年、何億年もかけてまたカタチを変えていくの。


木が育つように。

川が流れるように。


宇宙に存在する星である以上、

隕石が降ってきて壊れることもあるかもしれない。


でもそうなったら壊れるしかないんです。


在るように在るしかないの。

どの状態よりどの状態がいいとか、

そんなのがあるわけじゃないの。

地球にとってはね。



地球にとってはね。




温暖化で誰が困る?

酸性雨が降って誰が困る?


人間が困るでしょ。


「環境を守ろう」って全部人間のためなんだよ。



今の環境が破壊されれば、地球に人は住めなくなる。

それは人間が困るの。


地球は何も困らないんだよ。




人間が地球で生きていようがいなかろうが、

地球にとってはどうでもいいの。


今のこの環境を保ちたい、

今のこの環境であって欲しいと望むのは、

完全に人間の勝手だよ。



そこんとこ勘違いしちゃいけませんで。




一旦「私は地球環境がどうのとかどうでもいい」という話に戻ります。



地球は在るようにしかないわけで、

「物体」のもつ当たり前の性質として、変化していく。


でもそれは、

どうなろうと地球にとってはどうでもいいわけです。


地球にとってはどうでもいいことだし、

私にとってもどうでもいいことなのです。



地球が住めなくなったら死んでいくしかない。

でも、そうなったらそうなったでいいのです。


地球がそうであるように、

私も、在るようにしかないわけです。





ただね。



私は、沖縄のエメラルドグリーンの透き通る海の色とか、

木の葉が太陽の光を反射してキラキラしているのとか、

空から雪が降ってくるのとか、

風が肌をかすめるのとか、

川の流れる音とか好きだよ。



それを自分で壊してしまうなんて、

人間ってバカだな、と思う。


でも、今の生活を続ける限り、

今の環境は壊れていく。

それは仕方ないよ。


本当に望むなら、それを変えるしかない。

私ほんとはね、縄文時代くらいの生活でもいいと思うんだ。

それを選ぶなら、それはそれだよ。


その一方で、

このモノにあふれて、

食べるもの、身につけるもの、飾るもの、

いくらでも選べる「現代」の環境ってのも、

これはこれで意味があると思う。

私も、その環境を楽しんでいるしね。



どれがあってもいいんじゃない、と思うからこそ、

今の地球でも、いいんじゃないのと思うんだ。




どれよりどれが良い、とかないんだよ。



環境をものすごいスピードで変えてしまうほど物を作り出し消費している、こういう地球も、体験できる「体験」のすばらしさで言えば、最高だと思うよ。



少なくとも、きっと他の星ではできない体験だから。





・・・・ただ最後にひとつ言うとするなら、



とはいえ、

こうである必要もないと思うよ。




とは思うけどね(笑)

この話は、またいずれ。