ちょっと考えさせられる出来事があったので、記録として。

 

 

まとめると以前交際していた人と揉めました。

きっかけは些細なことだったし、内容も大した内容ではなかった。

ただ話の中で私が相手に気に障ることを言われ、つい相手の神経を逆撫でし逆上させることを言ってしまいました。

実際その結果が予想できなかったかと言われるとそうではないし、付き合っていた分相手の性格はよくわかっていました。

 

問題なのはその後で、別れた身としては相手と私はもう関係のないものとして縁を切るだけでよかった。けど、私と相手は多くのコミュニティーが重なっていたため周りの友達はそうはいかない。

言葉では迷惑をかけたと、申し訳ないと言っていましたが、その意味を理解しきれていなかったです。

 

心の中でまだ相手が悪いと思っていたし、周りに迷惑をかけた相手が悪いと。

でも友達にそうではないと伝えられ、自分が子供だったと初めて自覚しました。

 

逆上した結果周りに迷惑をかけるのがわかっていれば、自分が我慢するのが大人です。

自分より周りの人を大事にするのが大人です。

その時の怒りをただ相手にぶつけるのは子供で、その怒りを堪え後で友達と馬鹿笑いできるのが大人です。

 

周りにそういう人は何人もいたし、それを私はこれまで「自分にはできない」ことで「すごい」人だと認識していました。それは間違いではないけれど、今回のことを経て変わらないことは自分にとって悪いことであると同時に、周りにとっても悪いことだと気づきました。

 

今までに出会ってきた人達は心から大好きな人達で、考え方も芯があって、人間として本当に尊敬のできる人たちばかりです。しんどいと言えば話を聞いた上で、私のことを真剣に考えてくれる人達です。そんな人達にしんどい思いをさせてまで私は自分の気持ちを優先させようとしたことに気づいて、恥ずかしくなりました。

 

できるかわからない。じゃなく、変わらないといけない。やらなければいけない。

私を信用してくれた上で、真剣に間違ってると言ってくれた人達に応える義務がある。

 

心の広い人って、人を許せる人ってわけではなく、その先を考えることのできる人なんだと思いました。

悲しいじゃなくて、次の楽しみを。

しんどいじゃなくて、どんな結果が欲しいか。

 

今、回転寿司の件で世間は騒がしいけれど、そのことをどうこう言うのではなく、嘲笑しあり得ないと思える人間になりたいと思います。

周りの反応より、自分の大事なものを見失わない人間になる必要があります。

 

 

そう思えた出来事でした。

こういう出来事の積み重ねで自分の中に変えてはいけない自分が出来て、それが繋がったときに自分の目指すべき大人像が完成しそれと同時に自分が大人になれるのではと思いました。

 

みなさんの中に変えてはいけない自分はいますか?