私の過去(添乗員への道) | ゴールドコースト生活+子育て日記

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オーストラリアに在住9年目。
オージー旦那と5歳の息子との生活や文化の違いをはじめ、
その他もろもろについて語ります。

今日は気分転換に私の昔話で盛り上がりたいと思います!(誰と??)



日本では「海外添乗員」を長い事していましたが、その「きっかけ」について書かせて頂きます。



でも、その話の前に、、、、



「私、昔は添乗員して月に最低2回は海外へ行ってたんです。」と言うと、



時々、勘違いされる事があります。



以前、ゴールドコーストで初対面を果たしたブロ友のかわいいVioletちゃん は実はそのうちの一人。



初めて会う前に彼女は私の日本での職業を知っていたのですが、



お話しているうちに、私の過去の仕事についての事になりました。




??????



ん??




話、かみ合ってない??




Violetちゃん、何か私の事勘違いしてる??




何と、彼女は私の事、




「元スッチー(=スチュワーデス=フライトアテンダント)だと思っていたのです!!

                               ごめ~ん、Violetちゃん、あの事、ネタにしちゃったわ~あせる




あ~!!「添乗員≒(客室)乗務員」っていう風に思っちゃったのかしら??





・・・・・・・。





ま~、そうよね、、、、、そう言えば、響き的には似てるわね。

                     「乗」と「員」が共通してるし。。。汗





そんな感じで時々、間違えられます。 今までに何度かありました。。。。




どうせだったらそのまま勘違いされっぱなしの方が良かったのかも、、、、

なんて邪悪な(?)考えが頭をよぎったり。。。。



だって、、、



「スッチー」=キレイお姉さん系


「添乗員」=トライアスロン的体育会系


っていう感じがするんですもの!そりゃ、きれい系に思われたいわよね!





さて、本題の「私がどのようにして添乗員になったか?」という事ですが、、、




え??それが本題だったの???←読者のつぶやき。。。



実は私、大昔の21歳から22歳まで

ワーキングホリデーでオーストラリアのシドニーに住んでました。



そして、日本に帰国後、

「そろそろ職探しでもしなきゃね。」と思っていると、



当時お付き合いしていた彼が新聞の切り抜きを私に持ってきてくれて



「Settaちゃん、旅行業に興味があるっていってただろ?こういうのはどう??」



と、その「求人欄」の紙切れを見せてくれました。



そこには、



「海外添乗員募集!!」



と小さい切り抜きのくせに大きな文字で書かれてありました。



私は「あ、いいかも?」と軽い気持ちで即、その会社に電話をし、面接の日取りが決まりました。

その会社は、倒産した今は無き会社で「海外専門」で国内は取り扱っていない会社でした。



面接の当日、心配性の彼は、その「旅行会社」まで私と一緒に付いて来てくれ、

私の事をソワソワしながら外で待っていてくれました。



で、肝心の面接ですが、


私はまさか「筆記テスト」があるとも思わず、筆記用具一式なんてもちろん持ち合わせておらず、

かろうじてカバンに入っていた「ボールペン」で受ける事になりました。

(とてもじゃないですが、恥ずかしくて「筆記用具持ってません」なんて言えませんもの!!)


  

                                            

そして、テストの内容と言うと、


ヨーロッパ各国の首都をあげよ。

ドイツ、フランス、スペイン、イタリア、その他各国の通貨単位は?

(まだユーロがない時でしたから。。。)



あとは英語の筆記テストがありました。



面接にボールペンしか持って来ていなかった、ふざけた私は間違えても消しゴムで消せず、

ボールペンでぐちゃぐちゃっと消した「汚らしい答案用紙」を提出し、会社を後に。。。



外で待っていた彼は、




「ど、、、どうだった??Settaちゃん???」



と、まるで娘の大学の入学試験について来てしまった保護者のような心配ぶりでした。



「まあ、ボールペンしかなかったけど、なんとか出来たような。。。。」



とだけ言い、待つ事数日。



すると、



その会社から「採用決定!!」の連絡が来たのです!!



なかなか、あっさりと決まってしまいました。



そして、初出勤。中途半端な入社月と言う事もあり、



なんと新人は「私一人」。 え~~、同期が居ると思って期待してたのに。。。えー

                   



そんなこんなでたった一人っきりで入社。



「海外添乗」の為には免許を取る事が必要なのですが、その免許の試験までの数ヶ月間は

内勤で2,3ヶ月働いていました。



その後、無事に免許も取得!

初の海外添乗が私を待っていたのです!



で、例の保護者のような心配性の彼はと言いますと。。。。。



私の職を見つけてくれた恩人だったのですが、、、



残念ながら、、、、、



その後、私の海外での仕事が忙しくなり、

私の会話といえば仕事や海外ネタ。で月に殆どは海外。



そんな「20代そこそこにして外国かぶれしてしまった女」と「日本人男児」

がまともにデートしたり会話する事が出来るわけありません。




そしてその結果、、、



は別れを選びました。。。。(私からって事ですよ。。。フラれたんじゃないんですよあせる




新聞の切り抜きの「求人欄」を持ってくれた彼は当時、

自分がこのような結果を招く種をまいてしまったと言う事をみじんも感じていなかったでしょう。。。




自分で言うのもなんですが、、、、




全く最悪な女ですよね。。。ドクロ  人の恩を何だと思ってんだ!←読者の声





ま~、そんな訳で私の「添乗、体育会系生活」はスタートしたのでした。




添乗員たるもの「気力」「体力」が必要ですからね!




そんな訳で私は、「海外添乗員」になるために、




旅行関係の専門学校へ行った訳でもなく、

何か特別な「ツーリズム」の短期集中コースを取った訳でもありません。




なんとなく、




「運」で、この業界に足を踏み入れてしまったのです。




なので、もっと専門的な事を聞けると期待されていた方、、、、



ごめんなさいねあせる


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