おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出は?というお題。
いつも母方の祖父母の話ばかりですが・・・
いろいろあって、今母方の家を継いでいる。
元の姓を捨て、母方の姓を継ぐことに何の未練も躊躇もなかった。
この話をすると、長くなるのでやめておく。
さて(母方の)祖父は、当時は珍しかった薬学博士で、私としては数々の功績よりも、多くの人から慕われていたことを誇りに思っている。
請われれば外国でも講演。海外の友人も多かったようです。
必ず、忙しい中でも私宛に手紙を書いてくれた。届いたエアメールのインクの色は変色しているが、心のこもった文章は色あせていない。
祖父がしばらく海外に行くとき、会えないことは寂しかったが、外国で祖父を待っている人がいると思うと誇らしかった。
見送りで訪れた羽田空港は当時とは見違えるほど、きれいになっているが、航空機燃料の匂いに記憶が蘇る。
あの匂いが大好き。
小学校3年生のとき、祖父が他界。駅から自宅まで葬送の列ができ、延々切れることはなかったという。
沢山の思い出はないが、母から聞いた話から祖父の姿が見えてきた部分も大きい。
また、祖父が亡くなったあと、開かずの間となっていた祖父の書斎を訪れた。
医学関係の専門書だけでなく、仏教関係の書籍、東洋哲学に関する本が沢山あり、悩み多き学生時代のバイブルとなった。
そこに祖父の声を聞くことができた。
私の生まれる数か月前の日付が記載された、越前の永平寺のパンフレットが引き出しにあった。
学会発表のあとだったのだろう。
そのとき、どんな気持ちだったのだろう。
何年か前に私も家族旅行で越前に行った。永平寺にも。
少なくとも自分の誕生を望んでくれた人がいた。それだけで十分嬉しかった。
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