ピースしている写真見せて!というお題

(今回のブログ、長くなりそう。最後まで読んでくれると嬉しいです。)

ないな~

最近の写真はサムズアップ、いわゆる「いいね」の格好。

そういえば、昔の写真には笑顔がない。

ずっと笑わない生活をしてきたから、結婚当時も笑顔がぎこちない。

娘が産まれてから、娘の前ではありのままの表情をみせた。子供はすべてを見抜くから。

それでもカメラを向けられると、ぎこちない笑顔、あるいは無表情になった。

今だから言えるが、小学校の頃、同級生から「お前は気持ち悪いから笑うな」と言われた。

言った側は忘れていると思うが、言われた側は何年たっても忘れるものではない。

自分が笑わなければいいと心に決めて、ずっと生きてきた。小学校のときは、とにかく目立たないようにした。

中学、高校の頃の写真もほとんどない。社会人になってからも。

そんなわけだから、周りの人がどんどん結婚する中、表情もなく自信もなかった私の結婚が遅れたことも仕方ないこと。

その頃、母はカラオケ喫茶の経営を始めていた。

当時は不快な客もいた。

「お前、まだちょんがー(ひとりもん)か?か〇わ(差別用語)なんじゃないか?」と私に吐き捨てるように言ったとき、生まれて初めて母の怒りと悲しみの表情をみた。

散々、飲んだくれの親父に苦労しながらも、こんな表情はみたことがない。私は母に申し訳なくて心の中で何度も詫びた。

人生どこかで反転するもの。

母の店に五条哲也さんが訪れ、店として応援していくことにしてから私は変わったと思う。

彼の曲を広めようと機会があれば、全力で歌った。

歌が好き。歌を届けたい。そう思うことで、人の後ろで存在を消していた自分がいつしかみんなの最前列にいる。

これが苦痛ではないのです。

歌を通して多くの仲間ができた。仲間と歌い、笑い・・・もう表情を消す必要はないのだ。

今まで辛かったことも決して無駄な時間ではなかったと思う。ここでは書けないようなこともまだまだあるけれど。

一歩間違えば、崩壊しそうな人生だが、耐え抜いた先に得られたものは大きい。

写真は以前、五条哲也さんとかわさきFMでトークしたときの写真。

今、東京に住んでいますが、母の店が川崎で私の生まれ故郷。

出演数日前に小学校の恩師に電話した。年賀状で未だに連絡をとっていますが、声を聞くのは数十年ぶりだろう。

ただ大好きだった先生に頑張っている姿を知って欲しかった。

影の薄かった教え子の私の声を聞いて、覚えていないようであれば、「間違い電話でした」と言って切ろうと思った。

先生の声は昔の若々しさこそないが、明らかにあの声・・・懐かしい。

私のほんの小さなエピソードも覚えていてくれた。「教え子のこと、忘れるわけないだろう」って。

私の昔のこともそれとなくわかっていたようだが、かならず苦しみから這い上がることを信じて、いつもみていたと。

当時、先生が抱えていたことも話してくれた。

FM放送の話では、「いまでも川崎のことを思い、街の人のために行動する。君を誇りに思う。」と。

嬉しかったなあ。

ところで、何の話題だったっけ。まあいいか。

 

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