戦争体験談、聞いたことある?というお題

以前にも書いたかと思うが、母から聞いた話。

戦時中、東京浅草は大空襲を受け、焼け野原になった。

母方の祖父は、、燃え盛る浅草にいた。

猛烈な熱さから、隅田川に飛び込んだという。

川の水も熱く、他にも飛び込んだ人たちがいて、互いに手をつないで流されないように・・・

「手を離すな!」と叫ぶも、力尽きて、流れに消えていった人も。

戦争の話を祖父の口から聞くことはなかった。生涯医療関係者、研究者として尽力し、どの国の人に対しても偏見を持たず、求めがあれば講演した。

これが、祖父なりの答えだったのかもしれない。

私は、広島、沖縄の戦争の傷跡を訪れた。修学旅行では親友とハイビスカスの花束を「ひめゆりの塔」に供えた。

モノクロの思い出に花束の赤色が今も残る。

時は流れ、この度、3か月間仕事で鹿児島に滞在した。

鹿児島に行ったら、知覧に行こうと思っていたができなかった。時間がなかったわけではない。

鹿児島市内にある西南戦争戦没者の墓地を訪れたときにみた、墓石に刻まれた享年。

まだ若い年齢が沢山あり、胸が苦しくなった。

史料館の伝えるところをみると、西郷さんは誰よりも戦いを望んでいなかったように思う。

夕暮れの人の去った墓地は、静寂に満ち、墓所の先には桜島。

涙が出そうになる・・・いや、涙が出ていたのかもしれない。

歳と共に涙もろくなったものだ。

知覧に行ったら、涙腺、精神崩壊しそうなので、あえてひかえた。

戦争は嫌だね。悲しみしか生まれない。

西南戦争戦没者墓地の写真。

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