いつの頃からか、わが家では豆まきはしない。

それ以前は豆まきはしても、「鬼は外」とは言わないというルールで。

前にも書いたことがあるが、私が鬼好き?なのが一因。

ときにまつろわぬ民や異端の者が「鬼」と例えられてきた歴史を考えると、なんだか鬼が愛おしく思えるのです。

今の時代で例えるならば、周囲の友人のすべてが「あの人、なんか変」とその性癖を見下すことがあっても、その人に寄り添いたいと思う。多くの友人を失うとしても。

また災厄、病気を鬼に例えることもある。

これらは辛いものであるが、適度?な災害は人々に危機感を持たせ、不慮の事態に備えさせる。

病気により、健康の有難味を再認識させ、たとえ死であっても、残された者に命の重さ、尊さを伝え残す。

自分の中の怒りや嫉妬心も鬼に例えることがありますね。

自分の中で、正直「嫉妬心」という気持ちは全くない。他人を物差しにするからやっかむのであって、自分の基本的な座標軸をいつも保つようにしている。

いつも強い怒りを感じるのが、子供の虐待のニュース。

いつも怒りと悲しみを感じる。

もし、一切の「怒り」は捨てましょうというものが宗教であったとしたら、神仏と戦う鬼となってもよい。

ちなみに普段は感情の起伏は、歌を歌うときにスパイスにしている。

それにしても、鬼の造形って、個性的でかわいいと思うのです。

元、毘沙門天の足元にいたか?

今は、背中の窪みを利用して、鏡面の懸け仏を安置している、

ちなみにこの子たち、こんな配置にするとサーフィンのようになる。