先生というなら、教育を担当する本当の先生から政治家まで、皆「先生」と呼ばれている。そう呼ばれるたびに、相手に心を許せなくなる。本心からそう思って言ってないことが分かるからだ。むしろ親しみを込めて「栗野さん」と呼ばれる方が好きだ。SEX DROPS

 それはさておき、最近は「先生」と呼ばれる(自称も含め)人が増えている。医師、弁護士は生命を左右する人だからまだいいとしても、税理士、公認会計士、弁理士、社労士、建築士までもが皆「先生」と呼ばれる。どうも士業の人が「先生」と呼ばれているような気がする。
  国家から任命されるような人だから偉いのだろうと考え、「先生」と呼び始めたのではないかと思うが、その内向こう3軒両隣皆先生ということになりかねない。

 この「先生」にはある種の共通点がある。個人主義者が多いということだ。「先生」と呼ばれている内にそうなったのか、それとも元々お山の大将的に仕事をしているからそうなったのか。

 私の身近にもこの「先生」と呼ばれる人達が何人かいる。彼らは一様に個人主義者である。私はNPOを主宰しているが、会の理念や方針に関係なく、この「先生」は自分の思う通りにしたがる。見方によっては独創的な意見と言えなくもないが、会の理念や方針を逸脱(自分なりの解釈)した主張は個人主義以外の何ものでもない。
挙げ句の果てには「俺が言っているのだからいいだろう」「任せてみろ」と言う。それを認めれば会はバラバラの、単なる人の集まりになり、理念も方針も関係なくなる。

 自由とは何をしてもいいということではない。英語で表現すれば、free fromfree toとなるのだが、その辺が分からないようだ。曲美
 その点、会社員は組織の中で動いているから、全体の中での役割ということがまだ分かっているところがある。
 最近、ジコチュウ(自己中心)という言葉がCMでもよく使われているが、このジコチュウは現在も増殖中である。