丁度10年前。
俺は医者に余命宣告をされた事がある。
中々にショッキングな出だしだが不幸自慢では一切無い。
余命は今日。今直ぐ何があってもおかしく無いから家族を呼んでくださいと言われたのだ。
呼べる家族など居ない俺は当時付き合っていた彼女に付き添ってもらい即日入院となった。
これも不幸自慢などでは無い。
予兆は救急車で運ばれる3週間前に遡る。
身体がダルく、微熱が2、3日続いた。
食事は一切喉を通らず、職業だったバーテンダー故、お酒をもらうのだが一口で気持ちが悪くなってしまった。
流石に自宅近くの町医者に向かったが風邪と診断された。
そこから1週間、症状は治らず5キロ近く痩せた。
当時同棲していた彼女に別の病院を勧められ、また別の町医者に行くことにした。
この時初めてセカンドオピニオンという言葉を知る事になる。
町医者に着くと年老いた先生は直ぐに血液検査をした方がいいと言う。
なんの事かわからぬままな俺に医者は言う。
顔に黄疸が出ている。
きっと肝臓の病だと。
血液検査の結果は1週間ほどかかると言われ、経口保水液とゼリーなどで1週間を過ごした。
更に3キロほど痩せる。
そんな中でも自営業のバーには行き仕事をしていた。
数日後の朝電話が入る。
血液検査の結果が出たから来て欲しいとの事。
自宅から10分ほどの病院に着き、名前を呼ばれるのを待った。
診察室に入ると年老いた先生は俺を椅子に座る様に促し、顔面のトーンを2、30%落として言った。
血液検査の結果を見るに今直ぐに入院をしなければならない。
何のことやらわからず面を食らったままの俺に続ける。
今、救急車を手配するから大きな病院に行きましょう。
なった人にしかわからないのだが肝臓は沈黙の臓器と呼ばれ痛みが全く無い。
それ故に肝臓の病気は気付きにくく、肝硬変や肝臓ガンになってから発覚し、気づいた時には手遅れになってしまう事の多い臓器なのだ。
先にあげた様な症状しか無い俺は言われるまま彼女に連絡をし、軽めの着替えなどを持ってきてもらい、家から1番近い大きな病院に向かう事になる。
この時の救急隊のジョークは今でも忘れない。
こんな数値は見た事がありません。
まるでゾンビです。
その当時流行り始めたウォーキングデッドを思い返しながら死んじゃったら困るなぁ、バンドやりたいし、パソコンのデータ全部破壊して欲しいなぁ等と呑気な事を考えていた。
病院に着き、軽めの診察を受けるとこの病院では対処が出来ないと告げられる。
少しづつ事の重大さが実感としてわいてくる。
入院コーディネーターに入院ができる別の病院を探してもらう事になる。
1時間ほど待たされ一件見つかるが、個室でなければベッドの空きがないと告げられる。
大部屋と個室では一日の入院費用は雲泥の差がある。
生まれてから今日までジリ貧の俺はもちろん大部屋を希望する。
すると入院コーディネーターは大部屋のある受け入れ可能な病院を探してくると告げ足早に去った。
15分後、先程診察をした医師がやってくる。
優さん、肝臓の病気は本人に自覚がないからわからないかもしれませんが重要な臓器です。
命には変えられないので個室が取れる病院に今直ぐ行きましょう。
そ、そうか。
と何と無く納得し、本日2回目の救急車に乗り十条にある大学附属病院に行くこととなる。
心配そうな彼女と、妙に励ましてくれる救急隊。
本人の頭はあやふやなまま病院に着くと即診察が始まった。
若い先生がやってくると初めて病名を伝えられる事になる。
劇症肝炎です。
劇症肝炎(急性肝不全)とは、肝臓の機能が急激に低下し、意識障害などの重篤な症状が現れる疾患です。 この意識障害は「肝性脳症」と呼ばれ、ひどい場合は昏睡状態に陥ります。
Googleより抜粋。
聞いた事もない病気だった。
のちに調べてわかったが致死率70%の病気だ。
若い医師は続けて言う。
ご家族に連絡は出来ますか?
不思議そうな顔をする俺に畳み掛ける。
この病気はいつ何があってもおかしく無い病気です。
大袈裟じゃなく今夜を越えられない可能性もあります。
ご家族に今直ぐ来てもらってください。
人は想像の遥か向こうにある現象に直面すると笑ってしまうらしい。
妙に面白くなってしまって少し笑ってしまったのを覚えている。
まさか、とも思いながら次第に事の重大さを感じながらここで死んだらどうなるのかを色々妄想していた。
めでたい奴と言うかアホだ。
呼べる家族などいないと言ったが唯一の肉親である母には一応連絡をした。
あ、そうなの。
その言葉でもう答えはわかっていたので何かあった際は彼女と当時のメンバーに全てを任せる事にした。
病院もできる事は無く、只々安静にして夜を越えるしかなかった。
実感が湧いている様な湧いていない様な、あまりにも皮肉な、こんな事になった自分に酔える様な酔えない様なよくわからない様な感情で、ふわふわした不安を抱えたまま病院の窓から見える夜の街を眺めて少しだけ泣いた。
神様なんて居ないとも思ったし、これは俺が沢山の人を傷つけてきた罰なのかもしれないと、神様仕事できますねとも思った。
ごちゃごちゃの感情に疲れ果てながらナースコールをして看護師さんに薬を打ってもらい深夜眠りについた。
翌朝、7時に看護師さんがカーテンを開ける音で目が覚める。
薬の抜けてないぼんやりした思考で嗚呼、生きてたんだなと思った。
指先は動くし、喉も乾く。
心臓の音はするし、声も出る。
直ぐに若い担当医が来て告げる。
今は血液検査をしながら数値が下がることを願う事しか出来ません。
劇症肝炎は経過観察しか出来ない病なのだ。
いつまで入院になるかわからなかったが、とりあえずは現状を理解した。
1日、1日をただ越えるしかなかったとは言えできる事もないのだ。
とりあえず、病院の一階にあるサブウェイに行き、大好きなサンドイッチ野菜MAXを二つ食べる、ベッドで安静にする。
そんなこんなを2週間くらい続けた様に思う。
結果は驚きの回復力を見せ無事退院が決まる。
原因は不明との事でそこから暫くは通院が続いた。
わりとこの時、はっきりと、俺マジで死ぬんだなと死を実感したように思う。
勿論、自分以外の死は身近にもあった。
が、いざ自分が直面するとまた違った思いになった。
あまりにも急な出来事で足掻く事も出来ないわけだったから受け入れる準備が出来ていなかっただけかもしれない。
漠然と、あ、本当に死ぬんだなと思った。
割とこの出来事は自分の人生で大きな出来事だった。
病気以前から俺が好きな漫画、音楽には死生感が投影されてるものが多い。
漫画なら手塚治虫の火の鳥。
音楽ならCOCK ROACHやTHE BACK HORN。
幼い頃の記憶を辿れば心的には劇症肝炎になる前の方が死にそうだった様に思う。
今日が峠と告げられてからは何と無くどうせいつかは死ぬんだなと言う感覚は今でもこびりついていて、病気になる前と後では精神の死と肉体の死の感じ方が変わった様に思う。
俺たちは永遠に生きることなどできない。
死刑そのものを償いとするのは別として、心の中にある罪の償いも生きてるうちにしか出来ない。
今、隣でぐっすり寝ている愛しい猫も十中八九俺より早く死ぬ。
愛しい分時々、冷たくなった愛猫を想像する。
この匂いも、体温もいつか無くなる。
いつか訪れるとてつもない恐怖と共に、死んでしまいたいなんて右往左往しながらそれでも最期まで生きる事を諦めたくなかったのは理屈じゃない生命欲と、自分1人では埋める事のできなかった出会ってきた人や生き物の面影の様に思う。
だから俺はこれからも生死を歌うんだと思う。
その当時、池袋にライブに来た際にお見舞いに来てくれたそれ媚び。
思えばずっと愛のある人達だった。
ちゃんと答えてこれなかった自分を今でも悔やむ夜がある。