今日、はっきりわかったことがある

私はどうやら、
ひとつの人・ひとつの関係・ひとつの世界に
強く集中すると苦しくなるタイプらしい




どこかで私はずっと、
「深くつながること=愛」
「一人を大事にすること=誠実」
みたいなイメージを持っていて、
無意識にそこを目指してきた気がする

でも実際の私は、
そこに入り込みすぎると敏感になりすぎて、
小さな違和感を拾いすぎて、
やがてしんどくなってしまう


ある人との関係の中で思った
一緒に過ごす時間そのものは楽しくても


「この人とこれからもずっと深くつながる」と考えると、正直しんどい






たまに会って、楽しい時間を
共有するくらいの距離なら心地いい
でも日常的に深く絡む距離は、私には重すぎる

体に静かに問いかけてみたときも、こんな声が返ってきた

いろんな人と付き合いなさい。一人に固執しない方が、あなたは楽に生きられる。」

私はもともと感度が高いから、一人に集中すると、良いところも見えるけれど、同時にズレも全部見えてしまう

そしてそれが積み重なって苦しくなる
だったら最初から、関わりを分散させた方がいい


視界がぱっと開けた







ああ、私はこの人が“ダメ”なんじゃない
私が“1点集中”する関わり方が
合っていなかっただけなんだ、と



最近、どこかで見聞きした言葉もいま思えば重なっている

「嫌なところが一つあるたびに切っていたら、自分と全く同じ人しか残らない。そんな人はいないから、少しずつ受け入れるしかない」というような話

私の場合は、「一人を我慢して受け入れる」よりも、「集中先を分けて軽やかに関わる」方が合っている気がする

だからこれからは、

無理に深くつながろうとしない

嫌だからといって全部切らない

「ちょうどいい距離」を自分で選ぶ

そんな人間関係を大事にしていきたい

そして、もうひとつ嬉しかったのは――

“体の声を、ちゃんと聞けるようになってきた”と感じられたこと

「仲良くしなさい」

今日の気づきは、自分を責めるためのものじゃなくて、自分を楽に生かすためのものだった

私は、“一点集中”よりも“広く軽く関わる”生き方が向いている

それが、いまの私の真実だ
名古屋城の本丸御殿で歌った

簡単に言えば
「歌が好きだから」
そう言われてしまえば、
それまでなのかもしれない

でも、私にとって歌は
好きとか嫌いとか、
そういう言葉で片付けられるものじゃない

歌うことは、
祈ることに近い
場に触れることに近い

神聖な場所で歌うということは、
音を出すこと以上に、
その空間を扱うということだと思っている

だから
笑い声や雑音に紛れるように
歌が扱われたように感じた瞬間、
胸の奥で小さな違和感が生まれてきた

それは怒りでも、否定でもなく、
「これは大切にしたいものなんだ」という
自分自身への確認だった

完璧である必要はない
でも、何でも混ざっていいわけでもない

私は、
歌を神聖なものとして扱いたい
それだけは、はっきり分かった一日だった




最近は車のナンバープレートを

コンプリートするのにハマっている


きっかけは富士山1周の旅に出たことから




都道府県に分けて

コンプリートするのもいいけど



もっと細かく全プレートを

コンプリートしていくやり方



だから休日は

車の流れのいい場所で

車を眺めることが増えた



スマホを見ているのが嫌なのだ



そして最後に残ったプレートの場所へ

旅に行く

なんてやり方は楽しいんじゃないかな?ニコニコ



今日も春日部と豊橋が新しく見つかった



これは都会に住む人は有利になるので

誰かと競うのは

面白くないかも



昨日は釧路ナンバー

一昨日は八戸ナンバー



ようこそ三重へ!!!


自分を苦しめてきたもののひとつに

また気付かされた



直線で動いてきたことだ



時間がない

急がなくちゃいけない

焦り続けている



無駄をなくそう



余白なんていらない



ゴールに着くために

それも完璧な道のりで

1寸の無駄もなく



迷ってる暇なんかない

考えていたら

遅れてしまう



いまやる!

すぐやる!

味わってる暇なんかない



そうやって直線の動きが

極端になっていった



右脳は曲線

左脳は直線なんだそう



自然の中に居ると

右脳が活性化される



これは動き方にも言えるんじゃないだろうか?

と思った



言われてすぐ直せるレベルでは無いけど

ごっこならすぐにできる



曲線にはつねに

余白が埋め込まれている

そんな気がする



余白を埋め込むことで

強い、確固たる力が

働くような気がする



空手とか

気功とか

そんなものに通じる気がする



私は脱力を極めたい



そこも

曲線で余白があるような気がする



この文章もきっと余白も余裕もないんだろうな

やる、なる

周波数を合わせる



そんな生き方が必要なタイミングも

ある



今はそっちじゃない

私にとってその生き方は

力が入り

自由度が減り

楽しさを奪い

可能性を縮めてしまう感覚



私が私であることによって

どうぞ私の身体をお使いください

と差し出して流れに身を任せていくこと



人生を操作せず

自我でコントロールすることなく

信頼の中に身を置く



もっと委ねて

委ねて

ゆだねて…



そうすると思いもよらない方向から

豊かさや喜びが運ばれてくる



それが一番楽しくて

自由で幸せな生き方



愛を差し出そうとせずとも

愛はもう与えられていて

委ねれば委ねるほど

愛される生き方を知っていく











2025年は、ご縁を深く感じた一年でした。

音楽、旅、日常の中で、思いがけない出会いが次々とつながっていき、

予想だにしなかったことが向こうからやってくる一年


自宅警備員だった私が、

まさか本当に警備員になるとは(笑)


何が好きで、何が嫌か

身体の声をちゃんと聞いてあげられた一年でした。

出会ってくださったすべての方に感謝

良いお年を








なんだか忙しい毎日



また



ゆっくり



書きたくなったら




書きます




いつもありがとう



𝑻𝒉𝒂𝒏𝒌𝒔🙏✨










仕事中に撮ったやつ



流れる車を見続けるより



動かないけど

光や角度によって

色んな表情を見せてくれる

植物を見続ける方が

遥かに楽だった



特にこのゾーンが

大好きだった