cui cui
思い出というのは、海外旅行に行ったりディズニーランドに行ったり
日常から少し離れたところに作りにいくものだと思っていた。
キラキラといつまでも輝く素晴らしい思い出。
けれど印象的な出来事に気を取られている傍らで
無意識のうちに幾千も積み重ねられた
なんの変哲もない膨大な日常がある。

なぜ一見何ということのないこの写真に
涙が溢れてしまうんだろう。
無意識下に埋蔵された
日常という存在が
音もなくいきなり甦るような
素朴さや朴訥さの中に宿る、温かさ。
それはきっと、不器用な手垢のついた日常の中に。
同時に引き出される、
日常というものが持つ痛みや悲しみ。
洗練や煌めきに憧れ、追いかけ続ける日々は楽しい。
けれど、時折こうやって
見えなくなっていたものの在処を示してくれる
天才と引き合わされる
こうやって忘れていた痛みに流す涙や
日だまりを見つけたような懐かしさ。
こんなふうに繋がる
心を揺さぶるものは
音もなく触れることもできず目には見えない
日常は流れていく。
音もなく積み上がる。
それはまるで1と2の間にある、無限の存在だ。
※イチゴの写真は、
川内倫子さんの「cui cui」という作品集の中のひとつです。
日常から少し離れたところに作りにいくものだと思っていた。
キラキラといつまでも輝く素晴らしい思い出。
けれど印象的な出来事に気を取られている傍らで
無意識のうちに幾千も積み重ねられた
なんの変哲もない膨大な日常がある。

なぜ一見何ということのないこの写真に
涙が溢れてしまうんだろう。
無意識下に埋蔵された
日常という存在が
音もなくいきなり甦るような
素朴さや朴訥さの中に宿る、温かさ。
それはきっと、不器用な手垢のついた日常の中に。
同時に引き出される、
日常というものが持つ痛みや悲しみ。
洗練や煌めきに憧れ、追いかけ続ける日々は楽しい。
けれど、時折こうやって
見えなくなっていたものの在処を示してくれる
天才と引き合わされる
こうやって忘れていた痛みに流す涙や
日だまりを見つけたような懐かしさ。
こんなふうに繋がる
心を揺さぶるものは
音もなく触れることもできず目には見えない
日常は流れていく。
音もなく積み上がる。
それはまるで1と2の間にある、無限の存在だ。
※イチゴの写真は、
川内倫子さんの「cui cui」という作品集の中のひとつです。