いろんな不思議を手に入れよう
私の読み終えた原稿は、多分すぐに分かる。
真っ赤だから。
3色ボールペンの赤だけがすぐ空になる。
それを見たある方に質問された
「原稿をチェックするのに、何かコツとか法則とかあるんですか?」
クセというか、自然に生まれたスタイルだから
改めて意識したことはなかったなぁ。

ナレーターさんによって
文節だけスラッシュを入れて行く人
イラストを書く人(笑)
全く何も書き込まない人もいる、様々だと思います。
何となく目に飛び込んで来た言葉を丸で囲む。
自分なりの呼吸やリズムが感じる区切りにスラッシュを入れる。
ざっと見て、瞬間的に音声に変換出来なそうな漢字にフリガナをふったり
場合によっては「老若男女」→「ro-nyaku-nannyo」とローマ字表記したり。
厳密ではなく、手がスラスラと勝手に動いてやってることなので
実は頭は真っ白だったりする。
フォトリーディングみたいな感じだろうか。
その上、ブースに入ってからでもちょこちょこ何か書き込んだり
時には声を出す直前に言葉をなぞったり
ボールペンを握ったまま声を出す。
多分、ほとんど無意識にやっているのだろう。
実は、ブースの中での記憶というのがぼんやりしている。
そのくせ不思議なことに
言葉のひとつひとつや
あのタイミングでブレスしたとか
効果音のひとつひとつ
テロップの出るタイミングとか
膨大な細かないろんなことをハッキリ記憶していたりする。
マイクの前で、声を出したとたん
明らかに意識のチャンネルが切り替わる感覚はある。
ザワザワとした雑念だらけの空間から、
突然切り離されるような。
リラックスしながら、集中しているとでもいうのだろうか。
そんな何とも気持ちのいい状態。
スイッチを入れる。
意識のチャンネルが切り替わる。
本当はこのことこそが大切であって、
どのように原稿をチェックするとか
意味あるようで実はそんなに意味がなかったり。
何か、自分のことなのにわからないことって面白いな。
こういうの大好き(≧∀≦)

わからないものを、わからないまま受取り感じる。
突き詰めれば、
自分を信じているかどうか試されているのだと思うのだけれど。
ありのままではわからないからと言って
切り捨てたり
むやみに歪めたり
無理に意味付けしたりしようとすることは
無粋なことなのかも知れないとさえ思う。
小さな自分の箱に収めることが「理解したこと」だと思い込むのって
残念な感じがします。
本当は、その箱の小ささに
自分で勝手に制限しているブロックに
気が付きなさいというサインかも知れないのにな。
そもそも世の中は、わからないことだらけでしょ?
それを味方に付けるような生き方が出来たら
楽しそうじゃないですか
何だって出来ちゃいそうなんだもん。
真っ赤だから。
3色ボールペンの赤だけがすぐ空になる。
それを見たある方に質問された
「原稿をチェックするのに、何かコツとか法則とかあるんですか?」
クセというか、自然に生まれたスタイルだから
改めて意識したことはなかったなぁ。

ナレーターさんによって
文節だけスラッシュを入れて行く人
イラストを書く人(笑)
全く何も書き込まない人もいる、様々だと思います。
何となく目に飛び込んで来た言葉を丸で囲む。
自分なりの呼吸やリズムが感じる区切りにスラッシュを入れる。
ざっと見て、瞬間的に音声に変換出来なそうな漢字にフリガナをふったり
場合によっては「老若男女」→「ro-nyaku-nannyo」とローマ字表記したり。
厳密ではなく、手がスラスラと勝手に動いてやってることなので
実は頭は真っ白だったりする。
フォトリーディングみたいな感じだろうか。
その上、ブースに入ってからでもちょこちょこ何か書き込んだり
時には声を出す直前に言葉をなぞったり
ボールペンを握ったまま声を出す。
多分、ほとんど無意識にやっているのだろう。
実は、ブースの中での記憶というのがぼんやりしている。
そのくせ不思議なことに
言葉のひとつひとつや
あのタイミングでブレスしたとか
効果音のひとつひとつ
テロップの出るタイミングとか
膨大な細かないろんなことをハッキリ記憶していたりする。
マイクの前で、声を出したとたん
明らかに意識のチャンネルが切り替わる感覚はある。
ザワザワとした雑念だらけの空間から、
突然切り離されるような。
リラックスしながら、集中しているとでもいうのだろうか。
そんな何とも気持ちのいい状態。
スイッチを入れる。
意識のチャンネルが切り替わる。
本当はこのことこそが大切であって、
どのように原稿をチェックするとか
意味あるようで実はそんなに意味がなかったり。
何か、自分のことなのにわからないことって面白いな。
こういうの大好き(≧∀≦)

わからないものを、わからないまま受取り感じる。
突き詰めれば、
自分を信じているかどうか試されているのだと思うのだけれど。
ありのままではわからないからと言って
切り捨てたり
むやみに歪めたり
無理に意味付けしたりしようとすることは
無粋なことなのかも知れないとさえ思う。
小さな自分の箱に収めることが「理解したこと」だと思い込むのって
残念な感じがします。
本当は、その箱の小ささに
自分で勝手に制限しているブロックに
気が付きなさいというサインかも知れないのにな。
そもそも世の中は、わからないことだらけでしょ?
それを味方に付けるような生き方が出来たら
楽しそうじゃないですか

何だって出来ちゃいそうなんだもん。