遠くをぼんやり見る

「詩を理解する心を持つと真理に近づく」
非合理なものの見方をすることの大切さ。
明け方に読んだ本に記してあった。
「非合理」とは、哲学用語。
合理的な知性では理解出来ない論理を超えた認識のことを指す。
論理も道理も破綻している「不合理」とは違う。
芸術的価値も、非合理性に基づくもの。
真実の奥深さを知る上で、それは有効なものの見方になる。
言葉や声
目に見える様々なもの
あなたの笑顔も
それは「事実」
けれど事実は真実というわけではない。
あくまでも真実のほんの一側面、表層に過ぎない。
事実という表層を、いくら並べ立てたところで
一体どれだけのことが分かったと言えるのだろうか。
つじつまを合わせることや
後付けの理屈に何の価値があるんだろうか。
そのテクニックを知性だと思い込むのは
とても浅はかなことなのかも知れません。
詩を理解する心とは、
表面的なことに捕われないということ。
非合理であるということ。
本当は、表層を超えてその本質に辿り着こうとする心こそ
私たちが一生かけて学ぶべきことではないだろうか。
「真実とは、事実の奥にひそむ真理」なのだから。